ディドロ『ブーガンヴィル旅行記補遺』

ディドロ『ブーガンヴィル旅行記補遺』
『ダランベールの夢』の「対談の続き」は、性と生殖をめぐる議論がほとんどであって、性と生殖の問題から社会と文化の道徳論、法律論、そしてもっとも重要な宗教論へと展開していく部分はほとんど描かれていない。その部分を理解しておくために、ディドロ『ブーガンヴィル旅行記補遺』を読んだ。岩波の「ユートピア旅行記叢書」が手元にあり、そのシリーズの17巻にある中川久定訳である。

もともとは注目していた部分ではないが、二つの重要な点をメモ。一つは梅毒についての議論、もう一つは「タヒチ人による優生学」の議論である。「補遺」の冒頭近くに、タヒチの島民がブーガンヴィルに対してヨーロッパ文明を徹底的に批判する箇所がある。所有、文明、労働、規律など、ヨーロッパ人がタヒチにもたらしたさまざまなものが批判されている。その中で、ヨーロッパ人がもたらした梅毒がタヒチの「愛」を破壊したと論じる箇所がある。タヒチにはかつては「老衰」という1つの病気しかなかったが、そこにヨーロッパの船員たちがもちこんだ梅毒は、「おまえたちの血管からわれわれの血管に移った汚れた血」でタヒチを汚すことになった。このために、ヨーロッパ人がもちこんだ「罪」の観念とともに、かつては素直な愛情と欲望しか存在しなかったタヒチの性と愛がすっかり破壊され、人々の性と愛には後悔と恐怖がつきまとうようになった。ヨーロッパ人が「未開人」に梅毒を流行させるという主題は、クックをはじめ、18世紀の後半にはすでに確立している。ヨーロッパはアメリカからの梅毒の被害者でいう歴史認識と並行して、タヒチやオーストラリアなどの未開地域に梅毒を与えている加害者であるという認識を持つようになってきている。被害者意識の研究もいいけれども、加害者意識の研究もした方がいい。

もう一つの点は、ディドロがタヒチ人の口を借りて優生学的な人口政策を語る場面である。タヒチの男性の数的・質的な欠陥をおぎない、タヒチの人口を大きくし改善するために、ヨーロッパの男を使ったという議論である。タヒチには周囲の国家によって奴隷にとられたりして男が少なく、すべての女をいつも性的に満足させられるわけではない。一方、ヨーロッパの男には賢さがあることはすぐに分かったから、タヒチの女をヨーロッパの男に与えることは、ポジティヴな優生学的な政策であったという。これによって、タヒチの女たちは優れた人間を妊娠し、それによって優れた働き手・勇敢な兵士を作ることができる。しかも、この「新しいタヒチ人」は、実はヨーロッパ人に似た「抜け目のなさ」を持っているというおまけもついている。