西洋の解剖図と中国医学



http://www.lrb.co.uk/v34/n20/julian-bell/dont-look
イギリスには二つの大きな書評紙がある。Times Literary Supplement と London Review of Books である。イギリスの大学のコモン・ルームや日本の大学の英文科の研究室にいくと、コーヒーテーブルの上に置いてある二種類の書評紙である。TLSは短めの書評が沢山掲載されていて毎週刊行で、LRBは長い書評が10本程度掲載されていて隔週である。私はLRBのほうが好きだけれども、書き手も同じ書き手が多いし(科学史はほぼ必ずシェイピンが書いていた時期があった)、それに飽きてしまってTLSを半年くらい買ってみて、やはりLRBだなとそちらに帰るというのがこの10年くらいのパターンである。大事な記事はその時読んでいない方に掲載されるというジンクスまがいのものがあって、先日、友人にメールしたら、彼の本がTLSで一面にわたって大学者にぼこぼこにされた直後で、そのことを知らなかったし、実は、私が2006年に出した本がLRBで書評されるように友人が取り計らってくれたのは、ちょうど私がTLSに浮気していた時期だった。

これは10月22日号で、Hans Belting という学者が書いた話題作が英訳されてハーヴァードから出た。アラブの光学がヨーロッパ・ルネサンス期の遠近法に与えた影響を論じる書物であって、遠近法というのはヨーロッパに特有の見方・描き方であると思われているから、これは複数の文明の衝突や融合の大きな話に持って行くことができる。その野心的な書物を、好きな作家のジュリアン・ベルが評するという企画である。ベルは最終的には著者の考えからは距離を取りながら、にもかかわらずこの本を買って読んでみようと思わせるほど魅力的に意義深い議論をしている。もちろん、プロのルネサンス研究者ではないから、学問的な話ができるわけではないが、書評というもの、特に書評紙に書く書評は、ああいう風にも書けるんだなあと感心する。

この本の話の細かい点は措いておくが、概論はイスラムと西洋のそれぞれの文明における図像の意味の問題である。実は、先日、台湾の中央研究院の研究者の Sean Lei 先生のお話を聞いたときにも、この二つの文明における図像の意味の話に絡むものだった。Lei 先生のお話は、清末の中国医学の再生にかかわるもので、中国のエリート層の進士である医師が、当時の西洋からインスピレーションを得て、西洋の蒸気機関と解剖図を出発点にして、西洋を真似るのではなく中国医学の革新を企てたことについてのお話であった。彼が観たのは西洋の解剖図で『グレイズ・アナトミー』からの画像であり、これをもとにして彼は中国医学の「三焦」の実在性を論じる・・・という議論であった。その画像を掲げたが、身体内の空間の表現の方法として、胴体を縦断にした空間に模式的に臓器を配置するという手法は、実はグレイズ・アナトミーではあまり用いられない。1901年の復刻版をみたけれども、これはたしかにあまり用いられない空間表現法である。西洋の解剖では、中世の「カエル式」と呼ばれた方法以来、足を開いて正面を向いた身体の中に臓器を配するのが正当であり、胴体を縦断して横から見るのは少数派である。この手法が選ばれたのはもちろんこれが中国医学の「内景図」と呼ばれる臓器の所在を説明する図示の方法と同じであったからだろう。

縦断面図と正面図の問題、そこに実在を描くのか概念的な図を描くのかという問題、いろいろと深い問題に触れた素晴らしい着眼の講演でした。