第二次世界大戦期アメリカの南太平洋後方病院における神経症患者

Fisher, Edison D., “Psychoneurosis in the Armed Forces”, Bulletin of the U.S. Army Medical Department, vol.7, no.11 (1947), 939-947.
アメリカ軍の南太平洋の後送病院 (evacuation hospital) で、1944年の1月から7月まで神経症の患者であったものを500人調査したもの。質問する医師の暗示がないように、インタヴューは自由なものになるように努力した。後送病院に送られた患者たちは、戦闘義務を果たせなくなって前線から後方に送られた患者たちであろう。

この時期のアメリカの精神医学は、ボルティモアのマイヤーが指導してアメリカ流の力動精神医学が興隆した時代だから、この文脈でも神経症になった個人の生育環境が注目される。幸福な子供時代を過ごしたものは少なく、しばしば両親の片方を失っている。46%について、子供の頃の状態はよくない。心理的な問題は子供の頃から続き、駄々こね (tantrum), 夢遊病、夜尿症、爪咬みなどの異常があり、青年期には不安などに悩まされ、成人すると病的な感情状態は固定され、苦難を避けようとして自分の障害とされたものを利用することが始まる。現在はさまざまな神経症の症状があり、医師との会話からイアトロジェニックに障害を発しやすい。病院では快活にしてビタミンを多く含むダイエット、心理療法に作業療法、規律と規則正しい生活などを行う。1/4 くらいは治療する。これは、よい生育の背景を持ち、過酷なストレスによって発病し、急性反応が中心のものたちである。1/3 の患者は、生育の環境も悪く、発病にいたるストレスは軽いものであった。最終的に改善する見込みも低い。残りはこの二つの極のあいだに属する中間である。「これは良い数字ではないが、しかし患者にあらかじめ与えられている人格を超えて改善できると予想するのは理に適っていない」という最後の言明が、厳しいようだけれども、神経症の医療を機能させるためには守らねばならない原理だと考えられていたのだろう。「もともとの人格以上によくすることはできない」というのは、もちろん治療の失敗を糊塗する言い訳でもあると同時に、過度な期待を医者と自分自身について持つ傾向がある現代でも押さえなければならない格率の一つだろうな。