『茂吉の体臭』からメモ

斎藤茂太『茂吉の体臭』は、細部において味わい深いことが沢山書いてあるが、その中で、斎藤家が斎藤茂吉の症例誌をつけていたこと、その症例誌の記述が、私が読んでいる王子脳病院の記述と文体がよく似ていることをメモする。もともとは呉秀三の巣鴨―松沢病院が起源で、そこから青山脳病院、王子脳病院のように継承されたのだろうか。それとも、そもそも症例誌の文体はどこも似ているのだろうか。看護婦がつける看護日誌と医者がつける病床日誌の二種類があり、看護日誌は患者に対してはある種の敬語を用いている。「午後二時胸内苦悶を訴えらる」「夜中はよく眠らる」「背面より布団にて支えて差し上げる」というような表現である。この敬語のスタイルも似ている気がするが、それを説明する語彙も学識もないのが悲しいところである。一方、斎藤茂太と弟の宗吉(北杜夫)が書いた病床日誌は、父親であっても敬語を使っていない。

斎藤茂吉は高血圧・動脈硬化に基づく一連の障害で、血圧は収縮期が160と220の間くらいであった。そのためかどうか、瀉血が行われている。一日に100 cc という記述がある日が一日、40, 25, 20 ccの三回で合計85 cc という記述が別の日にある。1952年の話で、この時期には瀉血が行われていたことは知っておいてもよかった。