探偵小説が似合う街

小酒井不木「科学的研究と探偵小説」『新青年』3巻3号(1922)
探偵小説と医学研究の間の深い関連は、英語圏では医学の文化史の確立された主題のひとつとなって、多くの研究書がすでに世に問われている(読まなくては!)日本語でも、英文学者が作品論ベースで多くの仕事をしている。そもそも、コナン・ドイルのように、探偵小説というジャンルが形成される時期の重要な作者が、医者としての教育を受けたという特徴があり、日本では小酒井不木(小酒井光次、1890-1929)がこれにあたる。小酒井の仕事は「青空文庫」に多数おさめられているので、自由に読むことができる。この評論は、1922年に探偵小説雑誌の『新青年』に発表したものである。雑駁な書き物だが、おもな主張は、探偵小説の規範として、超自然的な議論を入れないこと、科学を入れるときにはいい加減な間違った科学ではなく、正しい科学を入れるべきだというものである。

それ以外に、はっとした面白い指摘をしている。どの都市が探偵小説に向いているかという議論である。小酒井は東大では生理学・血清学を学んだが、この評論によると、1917-20年の外国留学は衛生学を学ぶためで、そのため、ロンドン、ニューヨーク、パリといった大都市に滞在した。これらの街は、ドイルやポーがその名探偵を活躍させた場所でもあるから、小酒井は休日には街を歩いては、探偵小説の場面を思い出していた(日本では古代から続く、典型的な「名所」型の外国滞在である)。それだけでなく、NYやロンドンなどの大都市の生活が科学的になると、それだけ犯罪を行うにはいかにも都合がよくなる。しかし、日本人の生活状態が、探偵小説の内容となるにはあまりにも貧弱である。東京あたりでは「どうも奇怪な、大きな犯罪が事実ありそうにもおもえぬし、また東京を背景にして小説を書いてもさほど面白くなかろうと思う」という。