クレッチマーの戦争神経症論の日本への影響

クレッチュマー『ヒステリーの心理』
手元にあるのは、クレッチマーが1948年に Hysterie, Reflex und Instinkt というタイトルで出版したものを、東大の吉益脩夫が1953年に『ヒステリーの心理』として訳したもの。本当に観なければならないのは、同じ吉益が1933年に『ヒステリーに就いて』として訳して出版したものである。確認していないが、これはおそらくクレッチマーが 1924年に Ueber Hysterie というタイトルで出版した書物の翻訳だろう。だとすると、1933年の翻訳は、日本の精神病医が、戦争神経症にふれた重要な日本語の著作ということになる。クレッチマーのヒステリー論は、シャルコーフロイト、ジャネ、オッペンハイムといった19世紀末から20世紀初頭のヒステリー論の上に、1914年からの第一次世界大戦の戦争神経症の患者についてのドイツ精神医学の総力を集中したような大規模研究、内村祐之がのちに範例とするにいたった医学の総動員の典範のようなものの結晶の一つであった。日本の精神科医たちが尊敬のまなざしでみつめた書物であろう。そこに現れている戦時ヒステリー論の日本への影響も考慮しなければならない。

本来は33年版だが、とりあえず53年版をみると、クレッチマーが戦時神経症の患者を治療するときに医者がもつ嫌悪感、まるで悪魔が体に住んでいる人間を相手にするかのように書いている。治療を求めて診察室にきたのに、いざ治療となると反抗する患者、筋肉が緊張し逃れようと努めていたが、しばらくすると、また意志がもどる。「この全光景は以前の戦時治療家にとってはごく典型的なものであって、これを回想することさえ倦怠を催すくらいである。(中略)「悪党!」と戦時治療家は付け加えていう。」

悪魔憑きと「悪党!」か。33年版を確認しなければならないけれども、このようなクレッチマーの記述を頭に入れたうえで、日本の精神医学者たちは戦争神経症に向き合ったということは覚えておかなければならない。