「白隠展」と富士山の日


かなり前のことになるけれども、Bunkamura ザ・ミュージアムで「白隠展」を観たときの記事を。今日は2月23日で「富士山の日」でもあることですし。 

白隠は1685年に生まれ1768年に没した禅僧で、1000点以上の数多くの画と書の作品を残した。今回はそのうち重要なものを100点ほど展示したもので、史上もっとも大規模な白隠の展覧会であるとのこと。

釈迦、観音、達磨といった仏教系の主題、布袋や七福神などの民衆信仰系の主題、「お多福」「すたすた坊主」などのキャラクター、それから戯画と墨跡などが集められていた。水墨画であるが、近現代のカリカチュアやポンチ絵に通じるようなタッチや表現方式であった。しばらく前に東博で観た長谷川等伯の「松林図屏風」は、水と光と空間の表現に激しく胸を打たれたけれども、同じ媒体を使って、このような全く違ったタッチの作品になることが不思議だった。

特に心に残った作品を二つ。一つが「地獄極楽変相図」である。地獄のさまざまな様子が描かれていて、私は地獄を見るのが研究的な理由もあって好きだから、熱心にみてきた。西欧では「年齢の階段」と呼ばれるテーマがあり、左から上がって中央で頂点に達して右に行くにつれて下がっていく階段の上に、人生のそれぞれの時期を配する手法があるが、同じ手法が使われていた。

もう一つは、「富士大名行列」という作品の素材となった場所の話題である。白隠は現在の沼津である東海道の原宿の出身であり、若年期の修行のあとは、沼津の松蔭寺が生涯の拠点であった。そのため、富士山を描いた作品の中には、このあたりから見たのだろうと想像させるものがあった。その中でも「富士大名行列」は、ああ、このあたりだろうなということがはっきと想像できるものだった。東海道が富士川を渡る少し前のあたり、今の富士川橋の少し手前から富士山と川向うの岩を見たあたりがインスピレーションになっているのだろうと思う。この富士川の向こうの比較的険しい山が重なっている部分は、原・吉原としばらく平坦な土地が続く東海道に突然現れる急峻な景色であり、現在でも「岩淵」と呼ばれている地域である。それがどうかしたのかというと、その岩淵の山を回りこんでから、しばらくいったあたりに、私が住んでいる村があるというだけですが(笑)