戦後も継続した戦争神経症

今泉恭二郎・清水英利・氏原敏光・佐々木敏弼・元木啓二・森井章二「第二次大戦中発呈し現在に至るまで戦争神経症状態をつづけている2症例」『九州神経精神医学』13巻3号、1966: 643-648.

戦争神経症が継続していること、5年ごとに軍人傷病恩給の申請が更新されるたびに増悪してくるのは、神経症症状をもった患者である。

九州大学の精神科の教授となった櫻井図南男の還暦記念の特集号に収められた論文である。櫻井は戦中には戦争神経症の古典的な論文を出版し、それが戦後20年してもまだ継続している二例を、徳島大学徳島市立園瀬病院のチームが探してきて報告した論文。退職する教授に贈られた良いプレゼントと考えておくのがいいだろう。教授に追従的だとか別の見方もできるかもしれないが。

櫻井の説をコアの部分まで削り取ると、ドイツの精神医学や下田光造の外傷性神経症論と同じように、<戦争神経症は、賠償に対する欲求という観念が心因となっておこることは疑えぬ事実である>となる。ここから出発して、この医師たちは、第二次世界大戦中に頭部戦傷を負った患者が、恩給について、戦後から継続したいざこざによって神経症が起きてそれが固定されている様子を探してくる。片方は昭和34年に恩給診断書を書いてもらい恩給局に申請したが受理されず、神経症が固定し、それから現在まで続いている状態である。もう片方は、昭和31年に軍人恩給の申請ができることを知ったのを契機として急に増悪して、ヒステリー性けいれん発作まで起こすようになった。

この理由を、我が国の補償制度の特徴が、損害賠償的であって、生活保護的ではなく、傷痍軍人恩給による補償も、労務災害補償も、損害賠償的な考え方によっている、だから、戦傷による、または業務上災害による、たとえば一本の手指の第一関節より末梢の欠損すら、戦争神経症や外傷性神経症よりも傷病等級の査定がはるかに高く、したがって補償額も高い。そのため、戦争神経症の患者は、自分や家族の生活のことが不安になってきて、そのことが患者の心を占めるようになる。はじめは戦傷や外傷や後遺症に対する十分な治療への欲求、恩給や補償に対する欲求に基づく神経症状態が、後には自分の病気の快復の可能性ひいては労働能力や家族の生活に対する不安もまじってきわめて複雑な要素の介入した神経症状態に発展していく。したがって、恩給の改定のたびに戦時神経症が増悪することが観察される。