『黒焼の研究』

第一次世界大戦は、日本の医学のある部分をドイツへの重度の依存から独立する方向に向けたとされている。1918年8月にヨーロッパで第一次大戦がはじまると、日本は即座にドイツに宣戦したが、そのためドイツと断交状態になり、医学的な知識・技術・物資・製品などをドイツから移入して成長してきた明治維新以降の日本の医学が直面した重大な問題となったため、日本政府は国産の薬品工業を育てる方針で臨んだことはよく知られている。製薬会社の発展のため、西洋薬だけではなく、和漢薬物も一時の打撃から復興する勢いを見せることになり、1915年の日本薬局方の第四改正においては、西洋薬の不足を恐れて、国産の和漢薬が大幅に取り入れられることとなった。日本政府がそれまで取ってきた西洋化一本やりの方向は、この時期により複雑な形を持った成長となり、和漢医学や和漢薬の研究が新たな駆動力を持つようになる。  大正・昭和期の和漢医学の復興の中でもやや異質なのが、『黒焼の研究』である。「黒焼き」は和漢薬であると同時に民間の迷信に基づく側面を持っており、迷信・無知・伝統のシンボルといってよい部分を持っている。しかし、その黒焼きが第一次大戦期に復活してきたという。欧州の戦乱で洋薬の輸入途絶し、本草研究者が続出し、民間療法中にも軽視すべからざるものがあることが説かれるようになった。そのため黒焼商は戦前は一年で売っていた総額を二か月で売りつくすようになった。滋賀県蒲生郡武佐村大字南野の蛇取りは、大正4年以来著しく発達し、毎年蛇170万匹、蝮50万匹を捕獲して各地に輸出している。横浜の黒焼商の白井清次郎によれば、従来は教養の下層な人々にのみ歓迎を受けていたが、今日では教養の上層な人々にも黒焼購買者を見るようになっているという。  著者の小泉栄次郎は、詳細は不明であるが、薬剤師であると同時に、初期の医学史の好事家的な研究者の一人である。『日本医薬随筆集集成』は江戸時代の書き物から、医薬についての興味深い箇所を抜書きした資料集で、復刻版も出ている。 小泉栄次郎『黒焼の研究』(東京:宮澤書店、1921, 1928, 1935)