戦間・戦後の精神病をめぐる創作2点

森三千代『森三千代鈔』(東京:濤書房、1977) 森三千代は詩人の金子光晴の妻で、自身も詩や小説などを発表してきた。「天狗」という短編は1946年10月に「文明」に発表された作品で、1944年に東京で没した作家の辻潤の晩年に取材している。辻潤は「岡老人」と名前は変えているが、すぐに辻のことだと分かるようになっている。辻の晩年は、職業や家庭や収入などの生活の基盤が失われ、アルコール中毒と深い関係がある精神病に苦しめられながら全国の知人を訪ねては、一宿一飯と酒と金をせびっていた生活であった。厳密な年代はまだ特定できないが、辻が東京・吉祥寺の金子宅を訪ね、昔話をしながら金を乞いにきていたときに、それに接した三千代の経験を描いた作品である。  岡老人(辻)は薄汚い浴衣を着て尺八を腰にさして、子供たちに「きちがい、きちがい」とはやし立てられたり石を投げられたりしながら知人の家を訪ねる。話をして、金を貰い、「おしつぶされた卵の寿司とのり巻き」のような無意味なものをお返しとする。絹江(三千代のこと)と一緒に乗った電車の中で『ルバイヤット』の英訳の本の淫画を女学生に見せて赤面させ、その本の上に腰かけたと言っては隣の若者を怒って叱りつけ、その若者がこんな老人と争うのは大人げないとスルーされたりする。絹江に「何首烏」という木のくずのようなものを食べさせる。時として憑き物のようになる。絹江は、岡老人は自由に人生を送ったと同時に、たえず人の気を兼ねて、細かすぎるほど繊細な弱弱しい心の起伏があったという。ダダイストであり放浪者であったが、それは体面、意地、青春への執着などを洗い流していないという。そのためか、絹江は岡老人から、熱っこい欲情のようなものを感じ、老人の視線をいやらしいと思う。そこには、かつては文学の新思潮のパイオニアであったが、現在では精神病院を出入りして放浪し、尺八を吹いて門付けをするという、まるで非人のように落ちぶれた生活をしていた人間に対して、女子高等師範の嫌悪も感じられる。  この作品集でたまたま発見したのが「家霊」で、これは1951年に出版された短編。梅毒とそれによる精神疾患が田舎の名門の一家を滅ぼしていくときのありさまを描いた、優生保護法を背景にした作品である。名家の家付き娘に婿に入ってきた男から梅毒をもらい、彼の妻も、息子も、娘も、みな梅毒に食い荒らされていく。妻の髪は櫛でとかすとまとまって抜け、長男は、さまざまな病院の入院と、実家の二階の座敷への幽閉状態を経て、「俺はニーチェだ。日本人は、まだ誰も知らない。馬鹿者共!」と怒号して、精神が完全に荒廃していく。娘が梅毒の発作と幻聴と恍惚状態のために結婚できず、子供を産むことができないことが、最終的には家の破滅を決定づける。