ナチスと医療倫理の問題―シュミットの論文から

Schmidt, Ulf, “Medical Ethics and Nazism”, in Robert Baker and Laurence B. McCullough eds., The Cambridge World History of Medical Ethics (Cambridge: Cambridge University Press, 2009) ケンブリッジ大出版局の World History のシリーズは、グローバル時代のヒット商品なのだろうと思う。私は Disease と Food を持っていて、どちらも素晴らしかったので、Medical Ethicsも買ってみた。期待を裏切らなかった部分も裏切られた部分も両方あるけれども、手元に置く価値があるレファレンスである。特にナチス=ドイツと医療倫理の歴史の問題についての章が素晴らしかった。この章で水準が高い授業が一回か二回できる。著者のウルフ・シュミットはナチズムと医療についての書物を何冊も書いているので、早速取り寄せた。 重要なポイントは二つ。一つは医療倫理の歴史において、戦前ドイツの法律は世界でも先進的なものであったこと。もう一つは、ナチズムの思想は弱者への共感を否定して、国家や上位の権威からの命令と個人の共感の関係を新しく定義しなおそうとしていたことである。 ナチス政権下の強制収容所で行われた一連の人体実験は、医療の実験の中でも最も悪質で残虐なものであった。それらは軍や政府の関心と一致した主題を持っていた。海軍の兵士が冷たい海に落ちた時に生命を守るために、被験者を冷水に付けて死亡するまでの過程を調べる実験が行われ、飛行機の乗組員の高い空での安全を守るために、気圧を変えて被験者を死亡させていた。X線を用いた不妊化の実験は、ナチスの優生学政策を実現する方策の研究であった。これらの行為が戦後にニュレンベルク裁判の「医師たちの裁判」で裁かれたときに、一般的に言って弁護側は「法の不遡及」を盾にして弁護した。これらの行為を非合法なものとする法や規則がないときに行われた行為を、事後的に作られた法によって裁くことはできないという大原則である。注意しなければならないのは、戦前のドイツは、医療倫理の法制度の先進国であったことである。19世紀の末から人体実験の合法性と非合法性が活発に議論され、1930-31年には臨床実験を厳格に規制する法律も定められていた。この法律は、ニュルンベルク・コードよりも厳格な部分すら持っている優れた法律であり、障碍者や子供といった脆弱なグループを人体実験から守ることにも十分な注意が払われていた。ナチスは、その法律を破るだけの力を持った思想・運動であったということもできるし、法律がどんなに優れていてもその法にかかわる社会がダメだと史上最悪の人体実験の悪夢が出現したことも忘れてはならない。 ナチスの思想は、強固な意志を持つ人間を理想として、涙もろい共感や障碍者を人間として尊重することを敵視していた。ヒトラーは「岩のように硬い人格」になりたいといい、それが模範とされていた。この人格は人々を共感と人権意識から引きはがし、合理的な国家への忠誠に向けることができるものであった。弱者や福祉を食いつぶす障碍者たちを軽視して勇敢な兵士や勤勉な労働者を作ることは、合理性と国家への忠誠であり、そう考えることができる「硬い」人格によって、共感と尊敬の感情に打ち克つことができれば、眼前に呈された殺伐とした現実・凄惨な行為を、殺伐や凄惨とは考えずに、合理的な行為であり、国家と理想への忠誠であると捉えることができた。逆に言うと、このような攻撃的・戦闘的なスタンスを可能にするナチズムという仕掛けがなければ、19世紀末からのドイツの「人種衛生学」がナチス期のような凶暴な力を発揮することはなく、一つの医学のイデオロギーにとどまっていただろう。 実際、1925年の調査であるが、知的障碍児の親たち約200人に、子供の生命を奪うことに賛成するかという質問をしたアンケートがあり、イエスと答えた親が約四分の三であったこと、ノーと答えた親たちも、法律さえ整備されていれば検討すると答えていた。このアンケートを行った医者を驚かせた結果は、ナチス期になると、障碍児の抹殺へのゴーサインとして用いられた。