BC級戦犯―林博史の新書より

林博史『BC級戦争裁判』(東京:岩波新書、2005) BC級戦争裁判についての書物から要点をメモ。 ポツダム宣言が捕虜虐待の戦争犯罪人に対する厳重な処罰を予告していたこと。1945年の10月には山下奉文中将が占領地での虐殺などの罪に問われて死刑、1946年の1月にはバターン死の行進の責任者であった本間雅晴中将の罪が問われた。 空襲機の搭乗員で捕虜となったものは、1942年のドゥリットル裁判以来、これを無差別爆撃であり戦争犯罪であるとみなして、日本軍の軍律法廷において処刑することになっていた。戦争の末期になるとB29の搭乗員の捕虜が増加し、軍律法廷で死刑となるものも増えたが、軍司令官に処置を任せて処刑される場合もあった。終戦後のBC級戦犯裁判では、日本の軍律法廷での裁判や処刑、あるいはそれに模した捕虜の処刑などが裁かれて有罪となった。もともと日本軍が行った軍律法廷での裁判と処刑は、理論的に言えば日本がアメリカ軍の無差別爆撃という戦争犯罪を裁いたものであり、アメリカ軍がその行為自体を裁くというのは、たしかに「勝者による裁判」の不当さに他ならない。しかし、このことは日本軍の軍律会議が現実として正当なものであったことを意味しない。被告には弁護人もつかなかったし、無差別爆撃であるかどうかという最も重要な点の確認もおろそかであった。そもそも、重慶爆撃のような日本軍による無差別爆撃も戦争裁判で裁かれていない。 1950年にGHQは、「戦争犯罪人に対する恩典付与」として、減刑や仮出獄を認めていく方針を取った。