ヨーロッパにおける病院の形成：1500－1800年
執筆中の『医療の歴史』の近世の病院の章の節の断片です。この節では、全体としては、近世のヨーロッパにおいて三種類の病院が形成されたことを記述するのが目的で、以下、ペストに対する隔離病院、梅毒病院、そして一般的な病院が形成されたことを順番に論じていきます。 そのあとに、しばらく前に書いた節である、同じ時期の病院における医学教育の節が続く構想をいまは持っています。
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中世のヨーロッパにおいては、「病院」と呼べる施設はいちじるしく希薄であった。「ホスピタル」という語で呼ばれていたものは、教会や修道会によって経営され、巡礼者や旅行者を宿泊させる施設と、極貧者、孤児、高齢者（特に寡婦）、障碍・慢性疾患などを抱えた人々が滞在する施設であった。そのような「ホスピタル」においては、収容されたものが疾病にかかっていたとしても、その疾病を治療するという機能は小さく、介護して生活させることがより重要であった。キュアとケアの二元論を敢えてとるなら、ケアのための施設であった。特定の疾患にかかったものが送り込まれた施設の中では、ハンセン病に罹患した患者たちを送り込むハンセン病者収容所 (leprosarium)が12世紀以降にヨーロッパ各地につくられ、イングランドでは少なくとも200のそのような施設が存在し、ヨーロッパ全体では2万ほどの収容所があったと推計されているが、これらの施設はハンセン病の治療を目指していたわけではなかった。全体として、医療のほとんどは患者の自宅で行われ、「ホスピタル」は、生活能力が低下した人々が生活する場であり、孤児院などを除くと、残された一生をそこで過ごすための施設であり、ハンセン病者収容所も、治療というよりは、人々の嫌悪感と感染の恐怖に対応して作られたものであった。このように「病院」と呼べるものをほとんど持たないヨーロッパの医療は、同時代のイスラム圏の都市で大規模で医学的にも水準が高い病院が定着していた状況と大きく異なったものであった。
1500年から1800年にかけて、この状況は大きく変化して、ヨーロッパ各地で「病院」と呼ぶことができる重要な施設が新たに形成された。これらの施設は、その目的に応じて、三種類の分けるのが適当である。第一の種類がペストに罹った患者を隔離収容する病院、第二の種類が梅毒に罹った患者が隔離収容されて治療を受ける病院、第三の種類が疾病や傷害をうけた患者が治療のために診療を求めて滞在する病院である。これらの施設は、公衆衛生と、貧民や所得が低い者に対する医療の新しい構造を作り出した。この構造の形成には、中世から近世にかけての疾病環境の変化が重要な役割をはたし、14世紀から17世紀末まで大流行を繰り返しては大きな被害を出していたペストと、15世紀末からヨーロッパに深く食い込み始めた梅毒に対する措置であった。疾病だけではなく、政治・社会・文化の変化も大きな影響を与え、時代と地域に応じて、ルネサンス、宗教改革・反宗教改革、市民革命、啓蒙主義、産業革命などの大きな歴史的な潮流を、医療の場に結実させて、社会と文化の変化を医療の構造に刻み込む結節点となった。この期間においては、医療の大部分は、病院ではなく患者の自宅で行われるものであり続け、病院が富裕な患者にとって重要な医療の場となる動きが現れるのは19世紀末から20世紀初頭であったが、貧困層にとっては、病院が重要な医療の場となる動きが形成されたのである。
このように捉えられた初期近代のヨーロッパの病院は、ミシェル・フーコーが『狂気の歴史』を中心にした著作の中で唱えたものとは、その特徴においても概念装置においても大きく異なっている。フーコーは、『狂気の歴史』の「大いなる閉じ込め」と題された節において、17世紀には、貧困者・放蕩者・性病患者・狂人らが監禁と規律の施設としての一般施療院に収容されたと唱えた。かつて貧困が持っていた宗教性は失われ、のちに現れる医療性はまだ宿っていない権力の装置としての病院である。「もともと最初から、一つの事柄だけは明白である。つまり＜一般施療院＞は医療施設ではないのである。（中略）機能において、また意図において、＜一般施療院＞は、いかなる医学的な観念とも関連していない。それは秩序、当時フランスにおいて組織化されつつあった君主制的でブルジョア的な秩序の権力機構の一つである」（『狂気の歴史』69-70頁）。このモデルがフランスにおいて限定的にあてはまるとしても、ヨーロッパ全体には到底あてはまらない。初期近代の病院は、医療とは異なった権力の自閉的な遊戯ではなく、医療という新しい要素を鮮明に持ち、疾病環境の変化に対応して形成され、世俗権力だけでなく教会や宗教団体と密接な関係の中で、生活と権力が交差する場であった。以下、このありさまを、三種類の病院の種類ごとに、ヨーロッパ各地からの具体例を交えて記述していこう。
