『ごちそうさん』と出産の空間のコード

ここ数日、朝ドラの『ごちそうさん』を見ている。評判通りのとても面白い作品だと思う。今日は主人公夫婦に赤ちゃんが生まれるおめでたいお話。そこで出産の民俗が重要な背景になっていた。これは、かなり研究されてきた主題だと思うけれども、自分で勉強できないままになっている問題である。

 

出産の空間が社会的なコードで緊密に構成されることは人類学者たちが明らかにしてきた。また、その影響を受けた歴史学者も、それぞれの地域・時代の出産の空間の構成を研究してきた。素人の印象だが、これまでの研究だとジェンダーと家族構成が重要なコードになる。有名なのは近世のイギリス。痛みが社会的なメッセージの役割を果たし、産婦の陣痛が始まると、産婦は家の中の産室に導かれる。産室は光や風が入ってこないように閉鎖的な状態にされる。その空間には男性は入れない。産婦の夫・胎児の父である男性はもちろん厳重に拒絶される。産婦に付き添う人は女性で、もっともありがちなのが、産婦の母や姉といった出産を経験した産婦の家族の女性である。夫の母というのは、イギリスの世帯形成のルールでは通常は同じ屋根の下に住んでいないから、問題にならないらしい。医療者・出産介護者は産婆であり、これはもちろん女性である。男性の医者(この場合は外科医)がこの部屋に入る時には、出産がうまくいかず、「母子ともに健康」が達成できないことが明らかになった場合だけである。胎児か産婦、場合によっては両右方が死ぬ場合にだけ外科医が入ってきた。外科医の登場は、「出産」のドラマとは違ったドラマが始まったことを意味していた。そこに17世紀から「男産婆」が入ってくるときの構造転換を論じたのが Adrian Wilson である。私がイギリスで大学院生をしていたころには誰にとっても必読書であったし、専門に勉強している学生は重要な部分は暗記していた。

 

今日の『ごちそうさん』の出産の背景は、ほぼ同じコードになっている。陣痛とともに産婦は家の一角に閉鎖されて、そこからは男が締め出され、婚家の母である宮崎美子すら入れない。産婦の母親と産婆だけになる。子供が生まれると新生児の父親が入ることができる。

 

前置きがすごく長くなったが、この背景が、はたして大正期の大阪において現実だったのか、そうだとしたら、どのような経路でこのようになり、出産が病院に移行した戦後には、そのコードはどう解釈されたのかという問題がある。以下、まとまらない疑問をいくつか並べる。戦後には、産婦人科病院の産室の廊下で赤ちゃんが生まれるのを待っている父親というのは社会的なステレオタイプになっているし、きっと現実に対応しているだろう。そうすると、この父親は、出産の現場には立ち会わないというコードに従っていることになる。このコードはいつ生まれたのか、戦後にできたのか、戦前にできたのか、それとも近世やさらに前から継承されたのか。そして、今はすたれて別のコードになっていると思うけれども、それはどうなったのか。

 

歴史をさかのぼると、日本産育習俗資料集成などを斜め読みした印象だと、確かに出産を閉鎖された空間に置く場合もある。農家だと家の外に出される場合もあった。しかし、都市を舞台にした江戸時代の作品などを読むと、出産の現場に堂々と男性がいることもある。(いま記憶にある作品では、膝栗毛にそのような記述がある)まるで農村と都市で違ったかのような口調になっているが、それも素人の印象にすぎない。日本では賀川流などの産科医が発達し、私の印象だと切り札は外科手術であったが、それもどういうコードの中に組み込まれたのか。

 

 

このあたりの日本の近世・近現代の出産の空間のコードは、絶対にすでに研究されていると思う。どなたか、分かりやすい概説論文を書いてくださらないかしら。