黒死病/ペスト流行の心理的なインパクトを宗教画から読む

Marshall, Louise, “Manipulating the Sacred: Image and Plague in Renaissance Italy”, Renaissance Quarterly, 47(1994), 485-532.

 

黒死病・ペストが後期中世と初期近代のヨーロッパにどのような心理的なインパクトを与えたのかを宗教画の分析から読み取ろうという議論である。訪れては壊滅的な被害を出していく疫病に対して、天上の強力な力に向かって、介入と保護を願う心性が絵画に表現されたという。「人がたくさん死んでショックを受けた」「この世の終わりという極限状況に追い込まれた」というような素朴な議論に較べると、数段進んだ非常に優れた構成の議論である。論証も、私にはかなりの説得力があるように思われる。(ただ、美術史のプロから見たときに粗く見えるのではないかという印象はないでもない)もちろん、ポスト3.11 の日本でも、大地震は再び来るのだろうか、原発事故は再びあるのだろうかという脅威に対して何らかの予防や心の構えを作っているわけで、その意味でもインスピレーションを受ける議論でもある。

 

14世紀の黒死病はヨーロッパ全体に広がり、人口の1/3を滅したと推定される巨大な疫病である。その後もペストは繰り返しヨーロッパを訪れて、各所で大きな被害を出した流行を何度も作り出していた。ヨーロッパが最終的にペストの流行から解放されるのは18世紀であり、ほぼ400年ほどの間、ヨーロッパ人は、壊滅的な破壊をもたらす疾病のリスクとともに暮らしていた。そのため、この疾病を予防し回避しようという心性が宗教画に表現される。

 

この論文は、そもそも神の怒りの表現ですらあったペストから、いったい何が守ってくれるのかという論点である。注目されるのは聖セバスティアンと聖ロックという二人の聖人、慈愛のマリア、そして神の息子としてのキリストである。そもそも疫病には関係ない聖セバスティアンがペストから守護する聖人になった部分の分析は、キリストのような嘆きの人として一人で殉教するありさまを描くまったく新しい描き方が現れたという議論で、面白い。神がある社会に対して怒り処罰としてのペストを投げつけるときに、人類に慈愛を注ぐ存在のマリアがその着衣を広げて人々を守ってくれるという精神的な仕掛けであったという議論も、非常に興味深い。

 

画像はペルジーノの聖セバスティアン。私がまだ本当に小さいころに読んだ三島由紀夫の『仮面の告白』では、有名なセバスティアンの部分でペルジーノの絵画が模写されていたから、ずっと勘違いしていた。わざわざロンドン郊外のダルウィッチまでいってレーニのセバスティアンを観てきたけれども、ペルジーノの絵画には特別な魅力があると今でも思う。

 

 

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