日露戦争の廃兵と精神病―真下飛泉の叙事唱歌から

日露戦争に関連する医療についての情報を記した研究ノートからメモ。真下飛泉なる作家が日露戦争をうたった叙事唱歌の中で、戦争時の負傷の後遺症が記されていること、その中に「狂気」が印象的な仕方で取り上げられていること。

 

菅修一「真下飛泉『学校及家庭用叙事唱歌』に垣間見る日露戦争時の衛生事情」『医学史研究』94(2011-2012), 737-743.

 

真下飛泉の作品「学校及家庭用言文一致叙事唱歌」は、日露戦争に参加し負傷して帰国した「武雄」なる主人公の人生を物語る叙事詩であり、明治38年近辺に出版された。その中には有名な「戦友」があり、看護史の古典中の古典である「看護」がある。武雄がのちに負傷した戦友を慰問する「慰問」という部分があり、そこに日露戦争の負傷兵と後遺症に苦しむ廃兵たちが出てくる。以下のような歌詞になっている。

 

戰がすんで 小一年

銃の響の あともたえ

今太平の 代となつて

皆は笑顏に 暮せども

 

ここにあはれは 廢兵の

或いは 腕をもぎとられ

或いは 足を射ぬかれて

生れもつかぬ 不具となり

 

中には腦(脳)を うちぬかれ

狂氣となつた 人もあり

盲目(めくら)となつて 親達の

顔も見えない 方もある

 

戰は夢と 濟んだれど

太平の世と なつたれど

此(この)人々は いかにして

暮して おゐでなさるやら

 

屈強至極な 身をもつて

働きさかりの 身をもつて

茶碗と箸を もてぬのを

見ては 涙がこぼれます

 

杖にすがつて 片脚で

半町行つては 一休み

溜息ついて おゐでのを

見ては 涙がこぼれます

 

俄(には)か盲目の かなしさは

小溝一つも 飛びかねて

手をば引れて おゐでのを

見ては 涙がこぼれます

 

狂氣となつて 村中を

西へ東へ 騒がせて

叫んで廻る 有樣を

見ては 涙がこぼれます

 

此人々は 國の為

御天子様の 御為に

命ささげた 戰場の

天晴(あつぱれ)勇士で あつたのだ

 

天晴勇士の 廢兵を

慰問するのは 國民の

忘れちやならぬ 務だが

無事な我等は 尚更と

 

武雄は 近在近郷の

こんな人等を 聞くごとに

何度も出かけて 慰めて

親切づくの 同情を

 

見たり聞いたり する人は

皆恥入つて 勵まされ

一村擧つて 懇ろに

慰問をしたと いふ話

 

http://kouzuke.s11.xrea.com/nippon/kashi/imon.html

 

ポイントは負傷兵と廃兵の存在、腕をもぎとられ脚を撃ち抜かれて不具となったもの、盲目となったもの、そして狂気となった廃兵に言及していること。狂気は「脳を撃ち抜かれて」という物語の設定になっていること、そして最も興味深いのが、その狂人は、「狂氣となつて 村中を 西へ東へ 騒がせて 叫んで廻る 有樣を」という形で描かれていることである。こんなメジャーなはずの媒体に、日露戦争の負傷として堂々と精神病(狂気)が出てきたということを知らなかったことを激しく恥じる。