ロックフェラー財団と日本の保健衛生

Farley, John, To Cast Out Disease: A History of the International Health Division of the Rockefeller Foundation (1913-1951) (Oxford: Oxford University Press, 2004).

ロックフェラー財団は国際的な医療衛生の慈善を行っていた団体で、戦間期から戦後まもなくの時期においては、現在のWHOにあたるほどの巨大なプレイヤーだったと言われている。国際保健衛生の創成期の団体として非常に重要である。アジアやアフリカの植民地や、南アメリカなどの発展途上地域だけでなく、東欧や南欧などのヨーロッパ、そして日本でも活躍した。白金に公衆衛生院を作ったのはその一環である。本書にはロックフェラーとアメリカの目から見た1920年代・30年代の姿と、アメリカが日本が進むべきだと思っていた方向性が描かれた部分があり、そこが面白かった。まず、アメリカとしては、日本の医学界に大きな影響を持つ東大が潰れて、自分たちに親和的な新しい組織をほしいと思っていたとのこと。関東大震災で東大の医学部が崩壊しなかったことを「残念ながら」と表現しているとのこと。東大の長与又郎はその中でもツワモノで、著しく親ドイツ的な医者たちの頭領であり、もし長与が日本におけるロックフェラーの牙城の組織の長となると、アメリカとロックフェラーが中国で展開しているPeking Union Medical College 北京共和医学院との協力などはまったく見込みが立たなくなることなど。

 

 

自分たちの組織を作りたいから東大医学部が震災で壊れなかったのは残念だと書くのもそうとうだが、一つ気がついたことは、日本の学問の親ドイツ性に戦間期にはゆらぎが現れていたと考えると、一部の医学者たちが、アメリカの医学をきわめて口汚く罵っていることが納得できる。私が知っている中で、ドイツを讃えてアメリカを罵倒する傾向がとても強かったのは精神科の内村祐之であった。内村が東大教授になったことにはアメリカが絡む背景があり、石田昇という本来は東大教授になるはずの人材としてアメリカのホプキンスに送り込まれた人物が、留学先で分裂病に罹ったから内村が呼ばれたという話を、先日中井久夫の書物で読んだ。ああ、古いタイプの医学史の書物を読むと、こういう話にばかり詳しくなる(笑)

 

ドイツとアメリカという両国の医学の対立と、それと重なる両国の政治的な対立の中で日本の医学がどこに場所を取るかというのは、確かに微妙な問題だったと思う。長与が「極端な親ドイツ主義者」というのも、実は初めて知った。