精神病院と舞踊の空間

精神病院と舞踊の空間

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29才の既婚女性、日暮里出身で現住所は足立区、夫の職業は米屋、父母健康で同胞4人の3番目。昭和161025日に入院し、3か月ほど入院して、17115日に未治退院。病名は「躁」と記され、肺結核を合併している。彼女の同胞の一人が肺結核この肺結核は在院中にも悪化しており、患者本人も結核専門の病院に行くべきではないかと考えていたふしが伺える。

 

入院前は新興宗教が関連するという、少数ながらありがちなパターン。宗教は霊友会167月に宗教に凝って、フラフラと外出して道端で交番にとがめられて家に連れ帰られた。しばらくして落ち着く。その2か月後の169月には子供を連れて同じような玩具を幾度も買い与えるという奇妙な行動をする。これもしばらくして落ち着く。入院の1週間ほど前から、多弁と放歌と踊りをするようになり、これが入院後も続く。患者本人の弁によると、信仰については、夢中になって狂いもつかず馬鹿ともつかなくなったといい、ラジオを聞くと踊りたい気分になるという。

 

看護日誌をみると、3か月の入院期間中、ほぼ全日にわたって、彼女の歌舞音曲のパフォーマンスが続いたことが分かる。「放歌」という記録はほぼ毎日あり、「踊る」という言葉も頻出する。扇子を持っていることもしばしば記入され、化粧は「濃い化粧」と記されることが多い。歌や踊りについての記入は「でたらめな歌」「幼稚な歌」「英語の歌」などと記されている。患者本人が「マハンド・エンド」と繰り返しているのを聞きとがめた医師が、それは何かと聞いたら、ドイツ語であり、神様がドイツ語だと言っていたと答えていた。具体的には何か、どんな歌詞かということについては、見当がつかない。医師は「言語新作」と記している。また、男の子供の口調や、漫才のような口調で話しているとメモされているから、彼女は王子脳病院の自室と廊下で、演芸的なパフォーマンスを続けていたと考えられる。看護婦には反抗的で、看護婦の行動を医者に告げ口することも多かったが、院長の命令なら聞くと言っていた。総じて、楽しそうに笑っていることが多い症状だった。それと並行して、医師たちや看護婦たちを恐れさせていたのは、結核がどんどん進行していることだった。私にはよく分からないけれども「右肺の呼吸音がほとんど聞こえない」というメモは、かなり悪化していることを記しているのだろう。