『ナイチンゲール伝』書評

茨木保『ナイチンゲール伝 図説看護覚え書とともに』(2014)書評

 

 フロレンス・ナイチンゲール(1820-1910)は、クリミア戦争(1853-56)におけるスクタリの陸軍病院の傷病兵の看護で国民的な英雄となり、帰国後に、イギリス陸軍の衛生・看護の改革、新たにイギリス帝国に編入されたインドの衛生の改革、急激に拡大していた病院という医療の場における看護の改革などに活躍した女性である。1860年に出版された『看護覚え書』は改訂されながら版を重ね、現在では世界中で約200の国語に翻訳されている。生存中の1893年にアメリカで作られた「ナイチンゲール誓詞」は、現在の日本でも看護婦の誓いの言葉として戴帽式などで唱えられており、いまだに医療の現場で最も存在感がある歴史上の人物の一人である。

 どの時代もそれぞれのナイチンゲールの像を描いてきたし、同じ時代においても、信条や視線の違いによって、異なったナイチンゲールの姿が映し出されてきた。傷病兵を見守る「灯を持った婦人」が象徴する女性らしい献身とキリスト教精神の発露であり、行政学者も、統計学者も、フェミニストも、それぞれのナイチンゲールを描いてきた。

 このような解釈をある程度受け継ぎながら、本書が描くナイチンゲール像は、ありきたりの英雄や白衣の天使というイメージから大きく離れたものであり、献身と超人的な活躍と並行して、悩み苦しみ傷ついた改革者の姿が、ある意味で等身大の視線で描かれている。

 クリミアから帰国した彼女を駆動したのは、スクタリで目にした悲惨な光景であり、「生きた骸骨」のような兵士たちの記憶、全身に蛆虫が湧くなかで、毛布で頭を隠して、一言も言わずに死んでいった男たちの姿であった。本書では描かれていないが、彼女自身が責任をもって管理した病院が、実は死亡率が最も高かったという事実は、彼女自身を苦しめていた。クリミアでの死者たちの記憶が悪霊のように彼女に取り憑き、常軌を逸したとすら言える活動と、それと裏腹の感情の激しい起伏をもつもとになっていた。家族や友人たちは絶望と侮蔑の言葉を投げかける対象となった。クリミア戦争以前から、戦中・戦後のさまざまな業務を通じて、最も信頼し、仕事においても政治的な交渉においても私生活においても頼ってきた人物たちは、呪詛のような悪罵を浴びせられた。英雄化と聖人化の賞賛が呪わしいものにしか思えない中で、崩壊寸前の人格を抱えて狂ったように仕事をしていた女性であった。

 本書は、これをクリミア戦争PTSDやフロレンスの深層心理の問題として描いている。その解釈がある側面を捉えている可能性は否定しないが、一般的には、1995年にBMJに掲載された論文の見解に従って、クリミア戦争の最中に罹患したブルセラ症の慢性的な経過とするのが通例である。この病気は、彼女の体型を肥満させ(本書には反映されていない)、それと深く連関して性格も以前とはすっかり変わったものになった。白衣の天使であり看護の改革者であった彼女は、それと同時に慢性疾患の患者であり心身の障害者であった。

 この漫画は、そのような新しいナイチンゲールの像を描く優れた作品であり、看護を学ぶ学生に間違いなく強いインパクトを持つ絶好の教材である。全体の三分の二が伝記、残りの三分の一は「図説 看護覚え書」で締められている。