精神病院の脳の標本の会話(1932)

下柳七郎「脳漿の夢魔―ファンタジイ・プシコパトロジック―」『犯罪公論』vol.2, no.2, 1932: 240-244.

 

精神病患者に何かを語らせる文化的なパターンは、精神医学の発展とともに発展した。これについては、人々の間にわりと大きな誤解があって、精神医学は精神病患者の言説を封じ込めた、あるいは精神病者から言葉を奪ったという反精神医学の考えを漠然と信じている人が多い。これは、19世紀中葉の精神医学の発展の時期が、隔離収容型の精神病院の設立と拡大と重なっており、隔離収容が患者の人権を奪ったという(正当な)批判の中で、患者の言説も奪ったという批判が出てきたのだろうかと私は思っているけれども、まだこの部分は調べていない。

 

精神病とは何かという関心は現代になって新たに現れたものではなく、長い歴史の中で常に存在していた。精神病にかかった患者は何を語り何を行うのかという興味は、西欧では古代から存在していたし、日本でも長いことそのような興味があった。19世紀の半ばに精神医学が形成されると、精神病者への興味は医学的な主題と融合して新しい形を作った。特に精神病院という制度が確立すると、現実の精神病患者の観察や現実の患者の語りと接触する機会が増える。そのために、精神病という語りや振る舞いが広く人々に知られて、それらが文学や芸術などに取り入れられるようになる。精神疾患(「狂気」)を主題として、精神疾患の患者に何かを語らせる形式が、精神医学の発展と社会化とともに進行したことは、私には当たり前の事態に見える。ただし、このことは、患者の言葉や考えが「そのままの形で」文学や芸術に取り入れられたことはもちろん意味しない。それは文脈への編入であり、ある思想や状況にふさわしい言葉を、「患者の」言葉として語らせるという操作であった。

 

患者の言葉を「作る」ありさまを最もあらわにするのが、1932年に出版された短文である。下柳七郎という著者については、私はまだ何もわかっていない。文章から察するに松沢病院を訪問したプロの作家だと思う。作曲家のシューマンの精神病、ディケンズゲーテ、シラーなどの精神病に対する態度が描かれているのも、筆者の文学的な背景を感じさせる。

 

文章の主題は松沢病院に保存されている脳髄が深夜に彼に話しかけてくるというものである。幾百もの白い丸い雲丹のかたまりのようなものであると(おそらく)写実的な記述をして、このような脳髄の標本が保存されている場所について「松沢病院の正面、玄関を入って2階の右の奥」と書いている。これが正しかったら、ほぼ間違いなく松沢を訪問した物書きということになる。岡田先生の松沢病院史をざっとチェックしたけれども確認できなかった。

 

内容は他愛もないものだが、5人の患者の脳髄が語り掛けるというものである。患者の姿も見えている。1) 施療患者の狂った娼婦が、人間の性器はなんて変な形をしているのだろうと語るシークエンス、2) 40才で狂死した理学士が地球の三角形と論理学について語るシークエンス、3) 35才で死んだ仕立屋が鳥と天使と人間の死後の天国への上昇について語るシークエンス、4) 若い青年が自分をベルグソンと名乗り、帝大に出した連続の哲学を語って女は人間の連続を生むが男は違うと語るシークエンス、5) もとは芸者で精神病の中で自分の私生児を殺した女が、身体を半裸体にして語るシークエンス、である。思想をちょっと学び、扇情的でメロドラマでエロい作品に出てきそうなステレオタイプが並んでいる。

 

それでも重要なことは、これが患者の言葉の語りを取っているということであり、それが脳髄の語りであるという形式が、これが作られた患者の語りであることを強調すると同時に、「脳の時代」と関係があるのだろう。