「徴用神経症」(1944)

安河内律「徴用神経症(仮称)に就て 『ゲシタルト』全体論的成因の考察」『実地医家と臨床』211号(1944, 8-10.

アジア太平洋戦争期において、兵士においては戦時神経症が発生し、その治療と対策が大きな問題になったことは、古くは清水寛の研究、新しいところでは中村江里の研究を通じて良く知られている。戦争神経症と言わずに「戦時」神経症と呼んだところが一つのポイントであり、戦闘を直接経験することからくる神経症ではなく、戦時の社会に現れる神経症という意味合いもあった。その精神を受け継いで、兵としてではなく生産に徴用された人々における神経症を論じたのがこの論文である。「徴用は、戦時下にある我々にして初めて体験しうるところの、著しい社会的変動である。この変動によって惹き起こされる、すべての社会的な新事態に適応しえずして、所謂神経痛、所謂脚気、或は神経衰弱なる病名の下に、神経症を起こしたところの工員たち」の診療と対策を論じた論文がこの論文である。安河内律なる医師についての詳細は分からない。電気ショック療法を日本で初めて行った九大精神科の医者かと思ったが、それは安河内五郎であった。CiNii で調べたら、1960年代から70年代にかけていくつか論文を書いていて、それがいずれも福岡地方に関連しているから、電気ショックの安河内と関連があるのか、それとも福岡地方に多い名前なのか。昭和15年に精神神経誌に論文を発表している。

 

理論的な視角のポイントと、徴用神経症の数のポイントの2点。理論的にはゲシタルト心理学を用いている。これは、中村強が昭和30年に発表した戦時神経症についての分析でも用いられている。神経症の原因として打撲などの外傷を全体的な環境から切り離して分析しないことという脈絡で用いられている。より面白いのが患者の数の多さである。川崎重工業葺合病院というから、地域は神戸である。その内科において、昭和182月からの4か月間に取り扱った徴用神経症の患者は173人、徴用工の患者の25.9%である。結核患者が10%くらいであるから、かなり大きなものである。この患者たちは、徴用以前から神経症的な訴えをしていたことが強調されている。徴用されて比較的短期間でなっている。

 

 

戦時中だから伏字を用いた表現が散見される。その中で「〇〇神経症」と呼ばれているものが、おそらく「戦時」または「戦争」神経症であると思われる。そうすると、この論文の中で、兵士の戦時神経症、あるいは戦争神経症と、徴用工がなる徴用神経症を、一つの統一として取り扱う視点が見えて来る。総力戦の戦争と生産の二つの側面を扱う試みであるとしたら面白い。残念なことに、あまり長い論文ではなく、記述はまだ表面的であるけれども、このような試みがあったことは小さいけれども重要なポイントである。