1960年代の看護人向け教科書の中の精神医療史

 

吉岡真二・岡田靖雄編『新しい精神科看護』江副勉監修(東京:日本看護協会出版部、1964

 

吉岡と岡田は、日本の精神医学史研究に最も大きな影響を与えた二人の精神科医である。特に、岡田は、現代も活躍を続けて高水準の精神医学史の仕事を発表しており、その高い学術性の志向が逆説的に独善・狷介・固陋の性格を帯びることもあるため友人が多いとは言えないが、私をはじめ、多くの中堅から若手の研究者は岡田先生を尊敬している。

 

 

 

この看護人向けの教科書は、江副の監修にもとに、吉岡・岡田という戦後の松沢病院の左翼系の指導的な精神科医たちが、精神医療の在り方について看護人に鮮明に語ったものである。そこに、歴史の解釈が支えとして登場し、精神医療の倫理が語られ、岡田先生のことだから、倫理的に失格な教師や同僚の例が挟まれる。看護人向けに書いていることもあって、わかりやすく書かれている。善玉と悪玉が誰か、何が悪の根源なのか、どうすればよくなるのか、歴史的には日本の精神医療はどう変化して、何が問題なのかということが、これ以上分かりやすくならない形で説明されている。倫理的な説明も歴史的な説明も、もちろん共感できる部分がある。それと同時に、歴史については、歴史的な的確さよりも、運動の原理としての歴史観が表明されている部分が多い。言葉を換えると、現実に機能した歴史における原理の解明ではなく、これからの精神医療改革の直接的なモデルになる歴史の姿が提示されている部分が多い。

 

 

 

たとえば、日本と西欧の比較史がどのように説明されているかを例にとろう。西欧では中世や近世までは悪魔憑きや罪人と同じ場所に監禁することが行われ、精神病の患者は虐待されたが、18世紀末のピネルの改革によって、患者が病人として扱われるようになったという。一方日本では、<むかしは精神病が病気と考えられ、患者さんは外国に比べるとゆるやかな扱いを受けていた。狐憑きはあったが、外国ほどの虐待はなかった>しかし、明治にはいり、社会と経済の仕組みに<国の強い方法>が入るようになると、次第に患者さんに対する扱いがきびしくなってきた、という。

 

 

 

近世の欧米と近世の日本を較べると、後者のほうがゆるやかであるという。その根拠はなんだろうか。私宅監置ならいわゆる座敷牢というシステムで江戸時代にももちろん存在したのに。