「患者」vs「ヘルスケアの消費者」

1980年代から、患者 patient という言葉の同義語として、ヘルスケアの消費者 health-care consumer という語が用いられている。この語は医者に不人気である。ちなみに医者の同義語は health-care provider である。この語は市場原理主義が作り出したものではなく、1960年代から70年代にかけて活躍した左翼系の活動家たちが作り出して用いたものであった。そこで用いられた「ヘルスケアの消費者」という概念には、かつてのパターナリスティクな医者―患者関係から患者を解放するオルタナティヴという意味が込められていた。

アメリカの医療の歴史における自由な市場は、19世紀の前半に存在した。免許や資格なしに医療を行ってよかった時代である。医療の供給者は自由に市場に参加してよく、その中から購買者が決めるというメカニズムである。19世紀の中葉から、正規の医師たちはこの状況に制限を加えて、免許を持つ医師のみが医療を行えるようにしようとした。それとともに医師と患者の倫理を定める動きも現れ、1847年にアメリカ医師会が最初のの倫理コードを導入した。これは、医師と患者の利益は一致して、医者が判断し患者はそれに忠実に従えばよいというものであった。しかし、そもそも、医師にとって意味があった所得と階層と教育程度が高い患者たちは、現在の言葉でいうと empower される必要などなかった。彼らは社会的な地位、支払う能力、医学的な知識を理解する能力などによって、すてにエンパワーされていた。そこに入ってこない、特に料金を払って医療を受けない貧民のエンパワメントはそもそも問題になっていなかった。この状況で、最初の患者主導の運動が現れたのは、医者―患者関係のバランスが大きく崩れた領域であった。医療過誤 (malpractice)と精神病院への収容である。

しかし、19世紀の末になると、細菌学をはじめとして医療が科学的になり、医者たちがいうdoctor knows best という言葉が、以前よりも実態を伴うものになった。それとともに、たとえ金がある患者でも医者の言葉と医療が分からなくなった。

 戦間期消費者運動を経て、1960年代から左翼的な運動が始まった。これは公民権反戦フェミニスト、環境運動などとも連動していた。彼らは医者に対して服従的な患者ではなく、しばしば露骨に反抗的であった。そこでは、これまでの患者は医療によって何かを奪われてきたと論じて、victim や survivor などの概念と結ばれた。この時に患者の権利と消費者の権利の概念が結び付けられた。医療のモノポリーが批判される形となった。

 この運動が実現したことは多くなかった。何よりもタイミングが最悪で、医療はマネジドケアの中で医療が効率的に利潤を上げようとする時期に入っていた。

 

Tomes, Nancy, “Patients or Health-Care Consumers? Why the History of Contested Terms Matters”, Rosemary A. Stevens, Charles Rosenberg and Lawton R. Burns eds., History and Health Policy in the United States: Putting the Past Back In (New Brunswick, N.J.: Rutgers University Press. 2006), 83-110.