古代・中世医学における症例と注釈

Pomata, Gianna, “The Medical Case Narrative: Distant Reading of an Epistemic Genre”, Literature and Medicine, vol.32, number 1, Spring 2014, 1-23.

雑誌 Literature and Medicine が症例というジャンルという特集を組んだ。ちょうど症例についての話を準備していた時期なのでとてもいいタイミング。この文献の情報は、ツイッターのMedical Humanities @mdiclhumanities から得た。Gianna Pomataは、初期近代イタリアを専攻する優れた医学史家で、優れた業績を何点か読んだことがある。この論文も素晴らしい。

 

重要なポイントは3点あり、方法論と視点に関するもの、epistemic genre という考え方、そして症例というジャンルにおいて医者がどのような立ち位置なのかという問題である。方法論については、Franco Moretti, Graphs, Maps, Trees: Abstract Models for a Literary History (London: Verso, 2005)の 「遠距離からの読み」distant reading の方法を用いている。テキストのあまりに近視眼的な読み方が、地域や時代における過度の専門化と断片化を促していることを反省して、長いタイムスパンと多様な地域における捉え方を試みた仕事。この書物は私も読んだことがあり、小説という現象を、イギリスや日本や他の国家において比較する部分は非常に面白かった。医学における症例という形式も、ヒポクラテス文書の流行病論に端を発して、各地の医学で用いられている形式である。Pomata は触れていないが、中国や日本の医学にも古くから存在する。そのような症例を「遠距離から」読むと、確かに世界の医学史について面白いことが分かるだろう。

 

Epistemic genre という考え方も重要である。「ジャンル」というと、文学のジャンルのように、あるテキストがあり、それがあらわす内容があり、その内容が語られるスタイルなどで分類するのが通例である。しかし、それが目的とする思考の形式でジャンルを分けることが、科学史や医学史には適切であるという。どのように知識を作るのかという特徴でジャンルを分けるのがよい。症例はその一つであり、処方や注釈もその一つである。この考えは、大学院の授業でアサインメントに一次資料を選んだときに、その分類的な特徴を説明するときに、とても便利だから、もっと色々なテキストを読んで深く理解しよう。

 

最後にこの論文の中心の主張も面白い。症例はもちろんヒポクラテス文書の「流行病論」に現れる。全体で約300ほどあるとのこと。このジャンルは autonomous なもので、症例を観察・診療した医師が「私にはこのように現れた」という個人的な経験を記したものである。別の言い方をすると、権威となる考え方から一歩はなれたところに成立する思考である。そして、このヒポクラテスの症例に、ガレノスが「注釈」をつけて、別のジャンルの書き物にしたということが重要である。注釈は、権威となる医学書の理論や観察からなるテキストであり、ガレノスは医学における権威を打ち立てようとした医学者である。症例がもつ独立性に、注釈というテキストを通じて、他の医学書や理論の権威を注入したのが注釈である。ヒポクラテスの症例というジャンルが、ガレノスによって注釈というジャンルになったことは、アラビア・イスラムの医学でも観察されている。Pomata は、後期中世にさかんになった consilia も実は注釈の機能を持つという。これはなるほどである。実際に、大学院の授業で定番の18世紀のモルガーニの書簡を読んだとき、患者に治療法などを説明するのに、モルガーニが多くの医学書の典拠を上げながら患者に病気と治療法を説明しており、これが注釈であることを実感したが、Pomata 先生のような洗練された言い方で説明できなかった。これも「長距離の読み」の産物だろう。