患者から見た症例誌―昭和戦前期の精神病院から

症例誌 / 診療録は、医療者側が、ある患者についての観察したことなどを記録した資料である。欧米の医学史研究においては最強というか必須の史料であり、このタイプの資料を用いて、20年か30年ほど前から色々な方面に医学史研究が発展してきた。

 

昭和戦前期の精神病院でももちろん症例誌が記録されていた。私が見ているのは1901年から45年まで存在した王子脳病院だが、他の精神病院でも症例誌が保管されている。色々な使い方ができる、非常に重要なアーカイブズである。

 

今考えていることは、患者から見た時の症例誌の意味である。現在でも、患者は自分の診療録が記入されていることを知っている。場合によっては、医者が診療録に何かを書きこむのを見ている。医者にかかることは、診療録に何かを書かれることでもあるというのは現在の大人では常識になっている。もちろん昔もそうだったし、特に精神病院に入院すると、毎日医者がやってきて今日はどんなかと様子を聞いて、それに対する答えが日誌に書き込まれることが、患者にとって生活の一部となる。そして重要なことは、患者は自分の答えが記録されていることを知っている。医者や看護人が日誌に記入するのを眼前で目撃しているし、「何か字を書いていますね」というナイーブなことも口走るし(これも記録されている)、「そんなことを書いて欲しくない」という抗議も口にする(もちろんこれも記録されている)。患者にとっては、自分の発言が組織的に記録される空間に住むというわけだし、そのことを意識する患者も少なからず現れる。精神病院のこの側面は、私には近代社会と現代社会のいくつものクルーシャルな問題と深い関係があるように思える。そのことを考えて、あるワークショップで話したので、資料などをアップする。 ご批判いただければ幸いです。PPTのファイル、参考資料(私の論文など)のファイルを作りました、PDF ポートフォリオと単純なPDFファイルです。

 

https://dl.dropboxusercontent.com/u/9996855/CasesNanzanPapers.pdf

https://dl.dropboxusercontent.com/u/9996855/CasesNanzanPapers2.pdf