結核療養所の青春

新井義也『天国街道―結核療養所 保生円の日々』(東京:英治出版、2006)

ハンセン病、精神病、結核は、20世紀の前半から後半にかけて日本が隔離収容した三つの疾病である。この中で、患者も一番多く、最も深刻大規模な問題であった結核が、意外に歴史研究では少し遅れているという印象をもっている。もちろん福田眞人結核の文学』のような優れた仕事はあるが、それ以外の関連の研究が意外に進んでいない。ジョンストン先生の優れた著作が英語で書かれていて、日本の研究者に刺激を与えていないことも関係するのだろう。ただ、問題の大きさなどから言って、もうすぐ進展するだろうとは思うけど。

 

著者はおそらく神主さんで、1926年に生まれる。しばらく前から結核があったが、昭和21年、彼が國學院大學2年生の時に発症して保生園に入院し、4年程度滞在して完治したのちに、神社の建設や保育園の建設などにたずさわり、平成4年に没。保生園は、現在の新山手病院で、『となりのトトロ』のメイとサツキのお母さんが入院した病院がそのモデルである。新井はその病院に4年程度滞在し、その時代を振り返った記録を残した。新井の死後にご遺族やお子さんたちが、手稿を出版したのが本書である。

 

とても面白かった。入院している患者の多くが、大学生や名家のご子息・ご令嬢などが多い。これはもちろん公立・私立の問題や、院の方針などの問題があるのだろうが、社会の上層から中層が選ばれてそこに入っていた。そこで文学や文化や教養を軸にした結核の意味づけが行われる社会環境が作られていた。

 

著者の新井はそういう書き方はしていないが、彼が入院して見た最初の何人かの病棟での死者は、結核で死んだというより、慣れない胸部成形手術を行って失敗した事例で、これは事情によっては医療過誤の扱いをされてもいいのかもしれない。だいたい、この医者は無謀な治療を新井に行っていて、院長が診療してはじめてその治療の無謀さが明らかになった。だいたい、患者も医者に自分の痛みを隠しているとか、娯楽に演劇をやって熱演した患者がそのために肺に負担がかかって死んでしまうとか、「え?」と思う記述が多い。最後の部分は療養所の中の筆者自身の恋の記述と、著者が退院してすぐに彼女がなくなってしまう記述であり、とても文学的、あるいは創作的ですらある。創作的と書いたのは、記述が事実と違うという意味ではもちろんなく、患者が自分の結核経験、療養所経験を振り返って記述するときの枠組みが、文学や映画などに影響されたという意味である。