スリメダンの鉄鉱山の労働者の阿片中毒

金子光晴は戦後に活躍した詩人。昭和3年(1928)から7年(1932)にかけて、妻と森三千代と二人でアジアとヨーロッパを放浪する旅に出る。その時に訪れたシンガポール、マレー、ジャワ、スマトラなどの記述をまとめて、昭和15年(1940)に出版したものである。具体的な出版の経緯は調べていないが、東南アジアの開発と植民のブームと深い関係があるのだろう。むろん、月並みで安っぽい植民ガイドとは全く違うトーンで書かれた作品であるが、東南アジアの風物を伝えるという点では同じである。マレーなどの気候や病気についての記述であり、シンガポールコーランプル(クアラルンプール)などの街や、鉄鉱山のスリメダン、センブロン川を遡ったゴム園などについて記述であり、現地の日本人、中国人、ジャワ人、ヨーロッパ人などについての記述などがある。マラリヤデング熱などについての記述、特にマラリアが深刻な問題であり、人々はある土地がマラリアの瘴気があるかどうかを論じていたことがわかる。

 

それよりも面白いのは、アヘンについての記述と、いわゆる「からゆきさん」についての記述である。アヘンについてだけ書くと、その話題は、鉄鉱業の地であるスリメダンの現地人の労働者の関連で登場する。戦前の日本の医療関連の政策は、どうもみっともないものが多くて、欧米の先進国がやっていることをうまく真似できないか、そもそも真似せずに身勝手なことをする事例が目立つ。731部隊生物兵器の開発やそのための人体実験を行っているのは後者であるし、精神医療について作り上げられた、正直言ってへんてこな制度は前者である。そして、アヘンやコカインなどの麻薬についても、20世紀の初頭に国際的にアヘンが禁止されたあとも、日本はコカの生産に国家として大々的にたずさわっていたことが知られている。

 

そのアヘンの話だが、スリメダンの鉄鉱山では、そこで働く支那人のクーリー(苦力)にアヘンを振る舞っている。鉱山の日用品売り場では1チューブ30銭で堂々と売っているし、量の多いやつは一日に5円から6円ほどやるという。苦力たちはアヘンを買うために給料から前借りして、結局は給料から引かれる形になるから、何のことはない、会社はアヘンで給与を支払っているようなものである。(そのことも会社の監督は知っていて、それはそれでうまい商売だとうそぶいている)その上で、その苦力たちは、アヘン吸いたさに地獄の餓鬼になっている、国も家もない、それどころか自分自身だってない、アヘンがのめる楽しみ一つではたらき、それだけで生きているのだと評している。凄惨な光景を作り出している日本系の鉄鉱山である。うううむ。