精神疾患の治療薬とゾンビ再生の呪薬

ウェイド・デイヴィス『蛇と虹』田中昌太郎訳(東京:草思社、1988).

アメリカの民族植物学者がハイチを訪ねて、人をゾンビにさせて再生させる薬物を探し求める物語。ハイチの歴史や現在の社会の特徴も詳細に語っている優れたノンフィクションである。ただ、著者のデイヴィスが若い男性であることもあって、どうしても冒険譚の性格が強くなり、暗黒の世界に踏み込んで、若く美しい女性や賢い老人などに助けられるというサブプロットも組み込まれる。そのあたりは読み飛ばしたが、とても興味深いエピソードがあったのでメモ。

 

1982年に当時ハーバードで民族植物学者のポスドクをしていたウェイドは、教授の紹介でネイサン・クラインに仕事を依頼されることとなった。クラインは、1950年代に精神疾患薬物療法を開拓した人物である。インドでアーユル・ヴェーダ以来古くから薬剤として用いられていた蛇木(ジャボク)からレセルピンを取り出して、精神分裂病に有効な薬物とした立役者である。クラインのレセルピンをきっかけの一つとして、アメリカの精神医療は大きな構造転換を遂げることとなり、50万人いた入院患者はあっというまに10万人に減少した。もっとも、全員が精神疾患から回復したわけではなく、病院から追い出されて浮浪者のような生活をすることになった元患者も多かった。スーパーマーケットのショッピングバッグに身の周りのものを詰め込んで持ち歩いている浮浪者の女性を「ショッピングバッグ・レイディ」というが、皮肉な科学評論家は、クラインにちなんで、この浮浪者たちを「クラインズ・ベイビー」と呼んでいることも紹介されている。クラインについては David Healy の一連の著作が詳細に取り上げて批判している。

 

ウェイドがクラインを訪ねると、そこにはクラインとその友人のハインツ・レーマンが待っていた。レーマンはかつてマギル大学で教えていた精神薬理学者でクラインの親友であった。二人はウェイドにハイチでの研究計画を説明した。その研究は、近年世界の各地で明らかになった、死からの再生の事例に端を発したものである。イギリスのシェフィールドやニューヨーク、そしてハイチでクレルヴィウス・ナルシスなる人物が、いったん死んだとされていたのにしばらくすると息を吹き返したという事例が報告されていた。歴史や文学をひもとけばペトラルカや大プリニウス、そしてもちろんロミオとジュリエットがそれにあたる。特にナルシスの例は、比較的確かな証拠があるだけでなく、ハイチに存在するヴードゥー教とゾンビの概念が大きなカギを握っているとクラインらは考えていた。クラインとレーマンは、ゾンビには一定の科学的な根拠があり、薬物を与えていったん仮死状態なり死とみられるような状態にして、しばらくしてから別の薬物を与えて最初の薬物を解毒し、死んだと考えられた人物を再生させるというプロセスがあると考えられていた。そうなると、ゾンビにするヴードゥーの呪術師たちが与える飲み物などの中に、この物質が隠されているはずであるということになる。ウェイドに与えられた使命は、ヴードゥーの儀式や呪術で用いられる物質を集めるというものだった。ウェイドが持ち帰った物質の中から、夢のような薬物を作ることをクラインらは考えていた。人をいったん仮死状態にして、しばらくして再生するというものである。