「ニーダムの問い」-中国の科学技術の特徴と西欧に「追い抜かれた」理由

ジョゼフ・ニーダム『ニーダム・コレクション』牛山輝代編訳、山田慶兒・竹内廸也・内藤陽哉訳(東京:ちくま書房、2009)

生理学を学んだ後に中国科学史の研究者となり、『中国の科学と文明』という翻訳で全11巻の大著をものした偉大な科学史家、ジョセフ・ニーダムの論文集である。オリジナルは1970年に刊行、翻訳は1970年代半ばに『東と西の学者と工匠』というタイトルで二巻本として翻訳されたが、その中から9つの論文を選択してちくまの文庫となったもの。

私は中国医学史については謙遜でも何でもなく、全く何も知らないに等しい。しかし、このグローバル化のもと、西欧の医学と中国の医学を対照させて考えたほうがいい。特に学部生向けの授業の時には、授業で丁寧に説明する内容はある地域や国に限定するにしても、「世界の他の部分ではどうだったのか」ということに言及して射程を広げたほうがいい。もちろんもちろん自分が学問的にカバーしていない、記述が薄い部分が授業でできるわけだが、やり方を工夫すればメリットの方がはるかに大きい。授業では学問的な理由で自分がよく知っている地域だけを話し、学生にはグローバルな視点を求めるのは、だいたい無理な話である。そんな理由でニーダムを読み返してメモを取った。

中国と西欧の科学技術と医学の歴史の対照に関するニーダムの問いはよく知られているが、改めて読み直してみると、やはり面白い。ポイントに分けて考えると、古代と中世の中国の科学技術が西欧よりもはるかに進んでおり、数多くの発見や技術は中国のほうがはるかに早かったこと。たとえば錬金術や鉄の利用に関しては1000年以上も早かったこと。これはまったく問題ない。第二に、それにもかかわらず、中国はヨーロッパ文明のような「近代」の科学や技術を生み出すことができずに、近現代には西欧の科学技術を受け入れて、西欧の科学技術が世界に共通する oecumenical なものになったこと。ただし、医学においては、中国やインドは独自の伝統医学の理論と実践を現在でも保っており、これは別の問題であることであること。この部分も、ただし書きも含めて、問題ないと思う。第三に、それは中国の科学技術が経験的なものにとどまり、西欧のような理論的な基盤へと掘り下げなかったこと。中国における科学技術の理論は、その経験の蓄積に基づいた実践面での洗練にもかかわらず、陰陽五行説のような原始的なものを長く保持したこと。これも、ひとまずは、受け入れることができる。

問題になるのが、なぜ西欧においては16世紀から科学技術が理論的に進展したのに、中国では古来の理論を使っていたのかという部分についての説明である。この部分がニーダムの理論の中核になる。ニーダムは、中国と西欧の地理的な条件と、それと密接に結びついた社会的な違いであるという。中国は大陸であり、「一様な陸塊」であった。それは巨大な灌漑を必要とし、早くに大運河が作られなければならなかった。大運河の建設には何百万人という労働者を集めなければならず、彼らを管理する官吏が必要であり、この官吏たちは皇帝による支配を支えることになる。そこでは、皇帝のために社会を掌握するし、それを実務的な改善によってより完成し高めることが、社会の最も重要な力になる。中国は、気候や地理と関連する仕方で、官吏と文官が社会に大きな力を及ぼす構造になっており、その構造が新規の理論への調査研究に向かわなかった。

一方で西欧は半島的な地理であり、それは商業都市国家の形をとった。遠洋航海と商業経済が重要であった。商人がいつも低い地位に置かれていた中国と違い、商人がより高い生産と貿易の新しい形態を発展させるために、調査研究にお金をかけることが重要であった。中国のような保守性をもつ文明の構造とは違い、より大胆に生産と経済を変えることがヨーロッパの中には組み込まれていた。

もちろんニーダムの議論の雰囲気は通じるし、共感できる部分も多い。しかし、これが中国において科学技術が経験と実務においては進歩し蓄積したが、理論においては保守的だったという事実の説明になるという道筋がよく分からない。これはもちろんニーダムが別の論文でより深く的確に論じているのだろうし、他の学者も議論している。Wikipedia でみると、充実した研究と議論が行われているとのこと。これらをいくつか見てみよう。

もう一つ、別の論文で、西欧医学が中国医学より先行するようになったのはいつかという興味深い問題に触れている。ここでは、医療の臨床的な知識や、外科、解剖学、そして生理学といった領域と、治療の話を分けて考えている。解剖、外科、病理解剖については、比較的早い時期から西洋が進んでいたのは確実である。しかし、それ以外のことを考えたときに、1850年から1870年に西欧が中国を抜いたのだろうという。とくに、患者の視点からみて、治療について考えたとき、20世紀の初頭においても、中国よりも西欧のほうが進んでいたという判断はできないという。この問題も、もっときちんと研究している本か論文を読んで、授業に組み込みたいと思っている。