フィルヒョーの発疹チフス流行の報告書(1848)が英訳されていた!

 医学史を大学院で教える時に読ませる教材を選ぶときに、フーコーなどの基本的な研究文献、最新の視点を盛り込んだ研究文献、それから重要な古典であるテキストからバランスよく選ぶことに注意している。前の二つを手に入れて配るのは簡単だが、最後の重要な古典テキストは、日本語や英語という共通語になっていないものも多いので、苦労することが多い。これは大学院だけの問題ではなく、私自身の問題でもあって、ドイツ語やフランス語といった近代の医学史上で重要な言語がほとんどできないと言っていいので、読みたいのに読めないものがたくさんあった。そのようなマテリアルの中で、ドイツの病理学者で19世紀の最も偉大な医科学者であるフィルヒョーが1848年に書いた上シレジア地方(オーバーシュレジエン)の発疹チフス流行の記事の日本語か英語への訳がないのが特に残念だったが、これが2006年に英訳されていたことを今朝たまたま発見した。

 媒体は Social Medicine と題名のラテンアメリカ社会医学についての雑誌で、2006年の創刊号のほぼ全ページを使って全訳され、Howard Waitzkin というニューメキシコ社会医学の学者がイントロダクションを書いている。彼によれば、フィルヒョーはヘーゲル弁証法唯物論を組み合わせて、当時の医学の目標を分析している。マルクスの同志であったエンゲルスや、当時の左翼・リベラルの思想家のルーゲなどの著作も引用しているという。もちろんエンゲルスには『イギリス労働者階級のの状態』という著作があって、そこで労働者たちの疾病や健康状態についての詳細な記述があり、ルーゲ (Arnold Ruge, 1802-80)は投獄され、短期間マルクスとともに雑誌編集にたずさわり、1848年のドイツの革命(とその挫折)の後に最終的にイギリスに居住するようになったとのこと。

 フィルヒョーの上シレジア地方の発疹チフスの分析は、あるグループの感染症などを「人が作り出した疾病」と考えて、社会の現実と政治的な状況に結びつけ、そのような病気の予防や克服のためには、医学的な介入と少なくとも同程度に社会的な変化が必要だと唱える考えに導かれていたという。社会の中では階級の問題が重要であるというエンゲルスの考えに従う。

ここで、社会と医学・臨床が強く結びつく医療の新しい形が形成されて、これまでの医者たちの主たる客であり、その人たちに消費されるために生産されていた医療と医学知識とは異なったモデルが生成される。フィルヒョーは、社会医学者のつとめは、安楽で快適な生活を送っているブルジョワジーで、メロンとサケや、ケーキとアイスクリームの消費者であるような人々を心配させるような注意書きを書くことではない。柔らかいパンも、良い肉も、暖かい衣服も、まともなベッドもなく、しかし激しい労働をするので米とスープとカモミール・ティーで生きていくわけにはいかない貧しい労働者を守ることである、と言っているという。つまり、富裕で医者に診療してもらって医療費を払うことができたブルジョワジーを念頭においた医学ではなく、貧困層を守る新しい社会関係を持つ医学を創世しようというのだろう。

 あとから本文もきちんと読み、機会をみつけて大学院のテキストにするけれども、この重要なマテリアルが英訳されたのはとても嬉しい。

 

Waitzkin, Howard, “One and a Half Centuries of Forgetting and Rediscovering: Virchow’s Lasting Contributions to Social Medicine”, Social Medicine, vol.1, no.1 (2006), 5-10.

  • Virchow, Rudolf, “Report on the Typhus Epidemic in Upper Silesia: Chapters 1 and 2”, Social Medicine, vol.1, no.1 (2006), 11-27.
  • Virchow, Rudolf, “Report on the Typhus Epidemic in Upper Silesia: Chapter 3”, Social Medicine, vol.1, no.1 (2006), 28-82.
  • Virchow, Rudolf, “Report on the Typhus Epidemic in Upper Silesia: Chapter 4”, Social Medicine, vol.1, no.1 (2006), 83-99.