男性の性欲が少ないことにはどんなメリットがあるのか

ピエール・ダルモン『性的不能裁判―男の性の知られざるれる歴史ドラマ』辻由美訳(東京:新評論、1990)

 

著者はフランスの医学史研究者で、癌の歴史や生来犯罪者伝説などの興味深い主題について多くの本を書いて翻訳されている。分析の視点などについては共感できないけれども、史料的には安心して読める。何よりも、主題と素材が面白いから、それだけで読めてしまう本を書いているという印象を持っている。(間違っていたらごめんなさい)この本は、視点のいい加減さと素材の面白さの典型である。主題は、近世において離婚裁判を起こすことができる一つの条件であった男性が性的に不能であるかどうかを司法の場で議論し実践するというものである。分析の視点は、そのような裁判が行われたのは、男性が自分自身の性的な能力に関して隠された不安を持っているからだというもので、これはどうでもいい。しかし、素材の面白さは抜群で、数多くの裁判のやりとり、近世ヨーロッパの人々の性交と性についてのセリフが多く引用されている。法や医学の文脈で性について語ったセリフはこれほど面白いのかということが実感できる。特に最終章で論じられている「コングレ」と呼ばれた、裁判の場で(実際の場所は色々であった)、男性が妻などと性交できるかどうか、実証するという手続きを論じた個所は極め付けに面白い。これは、そういう場で行う性交こそがエロスだという、まさしく変態的なコメントを発した弁護士の話なども現れており、読んでおくに値する。

 

結婚と性欲について、キリスト教には、性は基本的によくないことであり、それが社会的に許されている結婚もあまりよくないことであるという思想が起源にあるから、不思議なことを言う。理想を言えば性欲が抑制されるべきだが、現実の世界ではそう言っていられないし、じっさいに性交が家や社会や国家の存続には必要だから、理想と現実をすり合わせるのにキリスト教がした議論はどれも面白い。たとえば、性欲を自己抑制することが最善であるが、それができない劣った人たちにとっては、肉欲の無秩序な行動をその中で済ませることができるからである。18世紀の法学者は「自己抑制の能力に恵まれなかった人たちは、結婚に避難して、自分たちの弱さの支えを見出すことができる」という。あるいは、禁欲の徹底は多くの人にとって難しく、そこを禁欲しようとして肉欲の炎に身を焦がされるよりは、結婚したほうがいい。それは「自制心の欠如ゆえに許されるゆるい規制にしたがうほうがましである」だからである。性欲は病気であり、結婚は最小限の悪である。しかし、男女両人を一緒に生活することを強いることは基本的に有害なことである。