トランキライザー(緩和精神安定剤)はなぜ批判・拒絶されたか

 

Speaker, Susan L., “From ‘Happiness Pills’ to ‘National Nightmare’: Changing Cultural Assessment of Minor Tranquilizers in America, 1955-1980”, Journal of the History of Medicine and Allied Science, vol.52, n o.3 (1997), 338-376.

 

1950年代から70年代のアメリカで、マイナー・トランキライザー(緩和精神安定薬、抗不安薬)に区分できる一群の薬が、一時は盛んに処方されたが、比較的短期間で批判されて拒絶された。この論文は、その批判と拒絶のメカニズムを分析したもの。方法論としては、一種のメディア論で、トランキライザーを論じた一般誌の論説をあつめ、その特徴を10年間ごとに集計して1950年代、60年代、70年代を比較するという方法。私は使ったことがない方法で、一見すると単純素朴に見えるけれども、比較的労力が少なくて、しかもこの主題には非常に適した方法であることが実感できる。

 

マイナー・トランキライザーは、商品名でいうと、1950年代のミルタウン、1960年代のリブリウム、ヴァリウムである。それぞれ、メプロバマーテ、ベンゾジアゼピンという物質であるとのこと。1950年代にはミルタウンが、60年代にはリブリウムとヴァリウムが、うつなどの症状を緩和する精神安定剤として盛んに処方されたが、1970年代の末には否定された。1979年の上院の委員会は、nightmare of dependence と表現したとい、う。ちなみに、1966年の ローリング・ストーンズのヒット曲 Mother’s Little Helper は、若者にはLSDやマリワナなどを禁止しておいて、自分たちは精神安定剤を飲んでいる中産階級の母親に対する風刺と批判を含んでいるという。

 

この論文の眼目は、トランキライザーが本当に深刻な問題を作り出していたかというと、それに対する答えは微妙であり、他の薬物の問題とは明確に違う性格のものであったということである。うまく的確に表現するのが難しいが、トランキライザーは、中産階級の主に女性たちが、医師に処方されて用いており、大部分は深刻な問題もなく、生じた問題も妄想や狂乱という派手なものではなかった。また、アメリカにとって薬物でも公衆衛生でも「いつもの問題」である所得と人種の問題とのかかわりもほとんどなく、マリファナやほかの薬物のように、貧困層や非白人に広まるという階級的・人種的な問題もなかった。LSDのように「リクリエーション」に用いられる薬物でもなかった。確かに副作用もあり被害も出たが、社会的には安定した階級である中産階級が経験したマイナーな問題であった。それに較べたとき、批判と拒絶のトーンはあまりに強かった。それはなぜかというのが、この論文の問いである。

 

答えはややあっけない。医学化への反動、「ビッグ・ビジネス」となった製薬会社への嫌悪、そして女性・消費者・患者の権利の重視に移行する時期と重なったからである。だから、トランキライザーを処方する医師によって、女性の軽度の精神病の患者であり消費者が被害を受けているという像が作り上げられたという。