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谷崎潤一郎の家族の病気のエピソード(1917年)

谷崎潤一郎の全集を読んでいたら、ある作品に家族の病気のことが細かく書いてあるのを発見したのでメモ。作品は「晩春日記」、1917年7月に『黒潮』に掲載された。中央公論社の全集の第4巻。4月30日から5月4日までの身辺の出来事を日記風に書いた作品。文士たちとの付き合いも描かれているが、中心的な事件は、家族の二つの病気のエピソードで、一つは母親の丹毒、もう一つは娘の鮎子の腋の下の腫物である。

 

母親の丹毒については、「丹毒」という言葉はあいまいさが残るが、症状などからみて、現代の疾病名の丹毒でいいだろう。谷崎の母親はもともと美しく、近親相姦的な憧れをこめて書いてあるが、丹毒になったため、高熱が出て、顔面が腫れ上がり、抗生物質がない時代だから黒い塗り薬が顔にべたべたと塗られているのを、美女が病となって醜態をさらしているありさまへの倒錯的な愛情をこめて書いている。母の病気の病勢がひいたあと、「お見舞い」が問題になる。日本の臨床には、お見舞いという興味深い制度があって、私が知る範囲では、プリンストン大の院生の Evan Young さんが研究を進めている。ここでも、谷崎も母親にお見舞いを持っていくのだが、患者はいつも好きな餅菓子や牛乳やおもゆは欲しくないから、「偕楽園の鳥のソップ」ということで話がまとまり、谷崎は偕楽園にいってスープの瓶を買って届けている。この偕楽園というのは、谷崎の親の家の近くの中華料理屋で、そこの息子は谷崎と小学校の同級生で友人であった。このエピソードは無事に切り抜けたが、この年に母親のせきは没する。

 

子供の病気は、長女の鮎子(実名で出て来る)である。1915年に千代と結婚して翌年に生まれた子供である。病気は腋の下にできた硬い腫物で、「腋の下に小さき顔がひとつできたような」と説明しているから、人面疽・人面瘡のアイデアと関係あるのだろう。この病気は、それ自体が治療が難しかったということと、母親の丹毒との関連で、色々面白いことを書いている。病気の治療の仕組みは、まず近隣の医者に頼む→腫物が硬くて切り出すことができない→知り合いのO医学士に頼む→O医学士が知人で東大の法医学教室に出入りしているI医学士に話す→I医学士は偶々中学で谷崎の同級生で、そのこともあって東大の外来で手術をしてくれる、という流れになっている。そこで東大で手術されるということがわかると、それまで色々と心配していた谷崎は、これで大丈夫ということでほっとしている。東大の権威の信仰なのか、末端の医者たちと東大病院の間に圧倒的な違いがあり、人々がそれを知っていたこと、それを利用して医師たちがネットワークを作っていたことなのか。いずれにせよ、人々の意識と、医者の紹介のメカニズムの意味をよく表しているエピソードである。

 

第二点が、この腫物と感染について。谷崎らが考えたことは、この腫物は母親の丹毒が感染したのではないかということであった。他の可能性としては、鮎子に種痘したときに黴菌が傷の中に入ったということと、体内の諸毒がふきだして固まったということも挙げられているが、母親あら子供への感染は、谷崎自身も、谷崎の父も、一番心配したことであったが、谷崎の嫁の千代は、谷崎に禁じられているにも関わらず、義理の母親の見舞いにいって谷崎を怒らせている。