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シャーロット・ブロンテ『教授』

シャーロット・ブロンテ『教授』海老根宏、武久文代、廣田稔訳(東京:みすず書房、1995)

 

6月の研究会で、川崎明子先生のご著作『ブロンテ小説における病いと看護』(2014) の合評会でコメントをする予定が入った。久しぶりに19世紀のイギリスについての仕事をすること、ブロンテ姉妹のうちシャーロット・ブロンテは特に『ジェイン・エア』が作品として好きな作家であることもある。そういうわけで、ブロンテの翻訳の全集を借りてきて作品を読みはじめた。川崎先生のご著作のアマゾンのサイトはこちら。

 

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最初に読んだ作品は『教授』である。出版はシャーロットの死後の1857年であるが、書かれたのは1840年代で、シャーロットの実質上の処女作の小説である。出版の試みが失敗したのちも、ずいぶん長く出版社を探したが、どの出版社も首を縦に振らなかった。シャーロットの死後に原稿を発見した友人のギャスケルは、他の作品よりも劣っている作品だと考えていたという。翻訳の全集の解説にも、海老根先生がなぜ失敗作なのかということを解説しているし、先日川崎先生とお話する機会があったときにも、失敗作だと説明された。ううむ。

 

その評価も分からないわけではない。ブロンテの人柄の偏狭な面が作品に露骨に反映されており、作品のストーリーがその攻撃的で独善的な思想に導かれているからだろう。たとえば、中産階級としての貴族の生活と態度への敵意、女性が教養と知性をもち文学などの職業を持って自立することへのこだわり、ピューリタニズムに基づく独善的な道徳意識、主にヨーロッパの国々への軽蔑的な敵意などが、作品の中に強烈に織り込まれ、ストーリーはそういった主義主張に従って展開していく。ブロンテのそういった主義主張は、私自身も共有し共感するものがあるのはもちろんである。しかし、それが盛り込まれているからと言って、文学作品として共感するわけではない。別の云い方をすると、そういう主張に血と肉を与えて文学作品として生き生きとした魅力があるものにするような、たとえばディケンズの一連の作品とは全く違っている。

 

個々のエピソードについて、備忘のためのメモ。

  • ベルギーの少年たちの知的能力は低く、動物的な本能は強い。鈍重。勉強を強制すると反抗するだろう。彼らは豚の群れのように、一人一人は臆病だが、かたまれば怯まない。
  • フランスのお婆さんは若い男に性的に言い寄るとイギリス人の男性は思っている。
  • フランスのお婆さんは、ド派手な服装をする。薄緑のモスリンの上着に、大きな赤いバラをあしらったレースの帽子、紫のビロードのボンネットの周りに色とりどりの春の花が派手な花冠のように取りまいている。
  • イギリス人の男の先生は、女学校は神秘の国であり、天使たちが住んでいるエデンの園であるとあこがれている
  • フランス女性は複数の男たちを同時に誘惑しては堂々としている。イギリス男性はちょっと惚れてしまう。
  • ベルギーの女学生は、総じてたまらなく官能的。10代半ばで官能的で10年後には淫蕩になっているだろう。
  • ドイツ人の少女は髪を油で塗り固めているが、だらしなく不潔で髪に触れたくない。顔立ちはダッタン風。呆れるほど無知無学。フランス語は愚鈍、英語はお笑い種、母国語のドイツ語すら正しく書き話すことはできない。