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ウィーン大学と精神科・神経科の研究―19世紀末から20世紀初頭

Seitelberger, Franz, “Heihrich Obersteiner and the Neurological Institute: Foundation and History of Neuroscience in Vienna”, Brain Pathology, 2: 163-168 (1992).

 

ウィーン大学の精神科・神経科の教授であったハインリッヒ・オーバーシュタイナーの業績を記した記事。オーバーシュタイナーは19世紀末にウィーン大学に神経学研究所を開設し、この研究所を通じてドイツ語圏はもとより世界に大きな影響力を持った医学者。この論考の著者は、その神経学研究所が発展した組織の所長を20世紀後半に務めた人物であり、そのような経歴の医学史の研究者によく見られるスタイルで書かれている。良い言葉でいうと個人と組織の内的な細部についての的確な知識に基づいているといい、悪い言葉でいうとインサイダーの歴史とか先祖崇拝などと呼ばれている。私自身は人文社会系の出身であり、人文社会系らしい医学史の手法を用いるので、この論考のような歴史記述のスタイルはとらないが、このような記述からはいつでも多くを学んでいる。特に、この論考は質が高く深みがあるインサイダー・ヒストリーを提供している部分が多い。なお、このような私のスタンスを誤解して、それは本音と違う政治的なレトリックを述べているのだという見解に時々出くわすので念のために言っておくと、医学史の研究者の中における政治的な機能を持たせようと意図していることは否定しないが、このスタンスは私が本気でとっている立場であり、知的にもそちらのほうが実り豊かであると本気で考えていることも付け加えておく。

 

私の立場の説明などはどうでもいいから(笑)、オーバーシュタイナーについて。著者は科学者を discoverer と founder に分けて、前者は狭く専門的な問題で何かを発見してそこに集中させるタイプ、後者は他の領域に拡大していく形で広い研究の体制を作るタイプだといい、オーバーシュタイナーは後者であるという。著者は明示的には述べていないが、前者のタイプとしては、同じウィーンの教授で後にノーベル賞を受賞したユリウス・ワグナー・フォン・ヤウレクを想定しているのだろう。ちなみに、オーバーシュタイナーとフォン・ヤウレクはそりが合わず、戦前は、両者の施設とその後継施設がウィーン大学に分離的に併存するという状況になってしまった。

 

オーバーシュタイナーの最大の制度的な業績は、ウィーン大学に神経研究所を設立したことである。この研究所は国際的な学術の拠点となり、スペインのラモン・イ・カハール、イギリスのエドワード・カーペンター、日本の呉秀三など、多くの精神科・神経科の学者が若き日に留学して学び、自国にそれと類似の施設を設立した。ラモン・イ・カハールはマドリードに研究所を、ドナルドソンはフィラデルフィアに研究所を作った(ここで情報が詳しくなくてよく分からないが、これは ウィーンで学んだHenry Donaldson が参加した Wistar Institute のことだろうか)。著者は述べていないが、オーバーシュタイナーに学んで後に東大教授となった三宅鑛一が設立した脳研究室もこれにあたるのだろう。

 

オーバーシュタイナーの業績としては、優れた教科書を書いたこと、雑誌を創刊して編集したこと、国際学会の運営と組織化に活躍したことなどが挙げられているが、最も重要なのは、神経の研究を、医学の他の領域に開くような視点を導入して、複数の分科が交差する領域に仕立てたことである。生理学、眼科、耳科などであり、化学と薬学との交差も企てていた。

 

もう一つ面白い話題があって、あまり詳しく書いていないが、オーバーシュタイナーと同時期にウィーンにいたもう一人の偉大な精神科の教授であったフォン・ヤウレックとの関係である。二人の偉大な教授は、少なくともその組織において、あまりうまくいっておらず、フォン・ヤウレックの制度と、オーバーシュタイナーの神経研究所は協力できず、ウィーン大学は二つの組織を分離した状態で抱えていたということ。東大の三宅が作った脳研究室と、同じ東大の内村祐之が教授であった精神科と松沢病院が、全く同じ関係であったように見える。この点も、時間があったら考えること。