「聖アントニウスの火」

聖アントニウスの誘惑

 

「聖アントニウスの火」と呼ばれた病気を描いたとされる二つの絵を分析した。一つはボッシュの『聖アントニウスの誘惑』、もう一つはグリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』の中の『聖アントニウスの誘惑』である。

 

リスボンの国立古美術館 地を這い空を飛ぶ魚、メガネをかけて堕落した聖職者、裸体の女を見せつけるヒキガエル、そして「聖アントニウスの火」に罹って壊疽した足を切り落とされたのか、片足がなくそこに器具をはめている男。悪魔の誘惑を退けて聖人となったアントニウス。現世の欲望にさらされていた人々が見倣うお手本であった。禁欲的な修行を荒野や洞窟で行っていたが、その時に悪魔が作り出した激しい幻影に襲われたが、信仰の力でそれに打ち克った。聖書にも、キリストが荒野で修行中に悪魔の誘惑を三度拒んだとあり、アントニウスはキリストと同じことをしたのである。麦角中毒の守護聖人。アントニウスの火は、焼けるような疾病、皮膚の炎症、そして最後には手足が壊疽して腐り落ちてしまう。ボスの作品中、この絵が最も多くコピーされているのは、聖アントニウスの人気。

 

もう一つ著名なものが、グリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』と呼ばれる作品の「聖アントニウスの誘惑」に描かれた修道士の図。この図が描いている体中に現れた膿瘍は、「聖アントニウスの火」と同一視されている麦角中毒で現れるものに酷似しているという。この絵画を詳細に説明した論考としては、ユイスマンスの「三人のプリミティフ画家」の冒頭を占める、グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』の分析が優れている。私が見た日本語の翻訳では詳しい説明がないが、ここでユイスマンスは医学史の文献にあたったらしく、ある医師が「細部までに周到な観察が行き届いていることは、小さな傷の周辺に広がる炎症の縁どりが示されている程である」と述べていることを根拠にして、絵画のこの部分は、「病室の実物をもとに写生された姿である」、すなわち、グリューネヴァルトは施療院で実際に麦角病の患者を見たと主張している。あるいは、別の歴史学者の12世紀の麦角病の流行と症状に関する記述、「血の塊が、からだ全体を蝕む心熱によって腐敗しきり、外部に腫瘍を生じさせ、やがてそれらが不治の潰瘍と化して、何千人という人々を死に至らしめた」とも一致する。グリューネヴァルトが描く体中が膿瘍に覆われた修道士が麦角病であり「聖アントニウスの火」と呼ばれる病気であったという証拠はこのように揃えられている。しかし、ユイスマンスが引いているが、実はシャルコーは『芸術の中の梅毒』においては、この図は梅毒であると主張しているとのこと。

 

画像は上がボッシュ、下がグリューネヴァルト。それぞれ、聖アントニウスの火にかかって片足を失ったものと、まさに腫瘍で苦しむありさまを描いている。

 

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