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19世紀イギリスのフリーク・ショーと医学の関係

Durbach, N. (2014). ""Skinless wonders": Body Worlds and the Victorian freak show." J Hist Med Allied Sci 69(1): 38-67.

 

著者は19世紀イギリスで起きた種痘への大規模な反対運動、特に労働者階級の反対を分析した歴史学者であるが、近年は、障碍と奇形の文化史を手掛けている。優れた学者で、この学者の著作は読むようにしている。この論文は、最近の学風を取り上げたもので、歴史研究を現代の医療をめぐる状況の中で論じるヒントを与えてくれる。歴史的な議論の構造自体はシンプルで、19世紀イギリスの「フリーク・ショウ」と呼ばれる奇形者の見世物小屋に医学が深く関与していたこと。医学的な知識を拡散することと、エンタテインメントを提供することの双方に医学がかかわっていたことが論じられている。具体的な例としては「エレファントマン」で知られるジョセフ・メリックや、全身が濃い体毛で覆われたジュリア・パストラナのはく製などが論じられている。これは奇形ではないが、19世紀初頭にヨーロッパ各地でショーや見世物で人気があった「ホッテントット・ヴィーナス」ことサールタイ・バートマンなどにも同じ構造が見出されるだろう。

 

この論文のキモはそちらではなく、その構造を現在の「人体の不思議展」のプロモーターのグンター・フォン・ハーゲンと重ねていることである。記述は、現代のフォン・ハーゲンを取り囲む魅惑と怪しさと批判と、19世紀の見世物小屋にかかわる医療の分析の双方を往復しながら進んでいる。歴史学者は、このような現代との関連付けを、なんというのだろうか、議論の本質にかかわらない刺身のツマのように扱う傾向がある。より正確に言うと、私はそうだった。この論文は、より実質的に現在と過去をつなげようとしている。

 

もう一つ、この論文の議論の起こし方について一言。そもそもの議論の始まりは、フォン・ハーゲンの医学的な見世物の展開の中で、イギリス人が唱え続けた言葉が、「これでは、まるで、ヴィクトリア時代のフリーク・ショーではないか」であった。「ヴィクトリア時代のフリーク・ショー」は、グロテスクに変形したりアブノーマルな形となった人体を見せて観衆を集める、いわばネガティヴで猥雑な仕掛けを意味する言葉として使われている。それに対して、「それなら、そのフリーク・ショーとは具体的に何なのか、皆さんは知っていますか?」という問いかけの形式である。このタイプの問いかけは、フリーク・ショー以外にも良く使われていて、特に興味があるのは日本のかつての精神医療の形式であった「座敷牢」であり、明治以降の法律用語で言えば「私宅監置」である。「それはまるで『座敷牢』だね」という時に、いい意味で言われることはまずない。そして、歴史的な座敷牢や私宅監置の実態が知られているかというと、橋本明さんの一連の優れた研究はあるが、まだまだ実態は分かっていない。同時代の精神病院と較べた時に、どのような違いがあったか、どのような点でどちらが優れていたかという点は、歴史学者が十分な史料に基づいて本気で慎重に議論しなければならないことだと私は思っている。(詳細は、橋本明先生の素晴らしい本を読んでいただきたい)しかし、私宅監置の写真を見せると、やはり誰もが顔をそむけたり眉をひそめたりする。ネガティヴなメタファーとして現代の日本では生きているのである。この問題について、現在の議論における座敷牢や私宅監置のイメージとその利用の問題と、歴史の現実の分析を組み合わせた論文を書いてみたいと思っている。

 

画像はジュリア・パストラーナを防腐保存した像。

 

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