16世紀イタリアの梅毒病院

Arrizabalaga, J., et al. (1997). The great pox : the French disease in Renaissance Europe. New Haven ; London, Yale University Press

 

昨日の歴史Iの一般教養の授業は、梅毒の歴史を話す回だった。ここしばらく、ヨーロッパ・アフリカとアメリカの間で起きた疾病の交換、いわゆる「コロンブスの交換」を主題にしたシリーズで、その最後の授業で、ヨーロッパにおける梅毒の歴史を話す回だった。意外に知られていないようなので書いておくが、ヨーロッパの梅毒の歴史を授業で話すときには、必読文献が一つあり、極言すると、この文献さえ読んでおけば、なんとかなる。その必読文献が、1997年にイェール大学出版局から出た、三人の優れたルネサンス医学の歴史学者たちが共著で書いた書物である。

 

この書物のより詳しい内容については別の機会に触れるが、研究の一番大きな特徴は、16世紀のイタリアの諸都市に宗教団体の提唱で作られた<インクラビリ> (Hospitals for Incurabili, 不治病病院) の主たる患者が梅毒の患者であったことに着目し、その病院の患者記録を利用して患者の動態を示し、その他のさまざまな史料を通じて、梅毒患者の取り扱いを文化と社会とイデオロギーとエピデミオロジーの中に位置づけたことである。この重要な部分については別の機会に記す。

 

小さな主題を書き、授業では使わなかったイラストについて書いておく。(そうしないと忘れてしまう)すでに触れたように、この<インクラビリ>は宗教団体 Companies of Divine Love などが諸都市に作り、イタリア中にはりめぐらされたネットワークであった。言葉を変えると、このような団体は、梅毒病院を作る以外に別の活動もしていたということである。その活動の一つに、女性が売春婦になるのを防ぐということがあった。家庭の経済的貧困、夫の無責任や暴力、あるいは騙されやすい少女などが売春婦になって破滅しないようなキャンペーンである。そのようなキャンペーンに用いられたミラノのブロードシートの1ページで、花盛りには紳士たちが膝まづいて擬似求愛したが、最後は梅毒になって 病院で寂しく生涯を終わり、この絵にはないが地獄の火で焼かれるということになっているとのこと。梅毒病院に収容されたのはもちろん乞食や浮浪状態になったものが多く、秩序の維持と処罰はもちろん重要なポイントであり、そこに売春婦も含まれていたということになる。

 

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