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高橋新吉「うちわ」(『戦争と文学』より)と精神病者の主観のアーカイヴ

『イマジネーションの戦争』コレクション 戦争と文学5 編集委員 浅田次郎奥泉光川村湊・高橋敏夫・成田龍一、編集協力 北上次郎(東京:集英社、2011)

 

芥川龍之介「桃太郎」と高橋新吉「うちわ」が参考になった。

 

芥川龍之介「桃太郎」。桃太郎の昔話を素材にしてその善悪を逆転させ、桃太郎とその三人の家来たちを身勝手で偏狭で強欲で野蛮な征服者として描き、鬼たちは熱帯にすむ平和を愛する文明化された存在として描かれている。征服の野心と宝物への強欲に目が眩んだ桃太郎の一行は鬼が島に来て略奪と凌辱の限りをつくし、降伏した鬼たちはそのうち独立の運動をするようになるという話である。

 

高橋新吉「うちわ」554-572.

1949年に出版された短編。ある狂人 / 精神病患者がどのようにして開戦の日である1941年12月8日を過ごしたかを描き、その日に精神病院に収容されたため、開戦したことも戦争に負けたことも知らないこと、その代わりに彼の頭の中に何があるかを描いた作品。

 

主人公は1941年の12月8日に東京から京都に来ており、その日は開戦の日のため色々なことがあったが、それを全て自分の精神を試すために人々が仕掛けをしているのだと考える。新聞などの号外は自分がどう対応するか調べるためのいわば検査であり、平安神宮に戦勝祈願に向かう人の行列も、自分の対応を見るためである。祇園では美しい半玉が二人現れたが、これも自分が色情狂かどうかを見るためであると思っている。しかし、彼は無事にどの仕掛けにも乗らずに無事に東京行きの電車に乗ったが、そこで喧嘩もしたし、私服刑事たちが見張っていた日でもあったということもあり、結局は警官につかまって岐阜で電車を降ろされて留置所に連れられたすえに、結局は精神病院に連れて行かれてそこに収容される。

 

言うまでもなく、この短編には、高橋自身が1930年代に岐阜県の寺で修行中に精神病を発病して、最終的には愛媛の実家に連れて行かれて私宅監置された実際の経験が組み込まれている。主人公が収容された精神病院は、作品中では「岐阜県立脳病院」となっている。そのような名称と組織の精神病院は確認できないが、おそらく「岐阜脳病院」が念頭にあったのだろう。これは昭和3年(1928)に設立されて、昭和5年(1930)には、公費の患者を受け入れることができる代用精神病院に指定されている。高橋新吉が岐阜の禅寺で精神病が急激に悪化したのは1930年代であるから、この時の岐阜脳病院という名称と、県立病院の機能も持つことが合わせられたのかもしれない。ただ、高橋自身には岐阜も含めて脳病院への入院の経験はないと思われる。昭和11年(1936)に刊行された自伝的な小説『狂人』の記述によれば、昭和3年(1928)に岐阜県の伊深村の妙法山正眼寺で発病して、大垣の警察の留置場に入れられたのち、刑事に付き添われながら鉄道と汽船を乗りついて故郷で両親が住んでいる愛媛の八幡浜近くの村に送られるわけだから、精神病院は現実には経由していない。

 

そういう伝記的な細部よりも重要なことを一つ。この作品は、精神疾患の患者の主観の中に入り込み、それを再現しようとしている作品であり、その再現のための素材は、高橋自身が精神疾患を患った時の記憶である。「うちわ」は、『狂人』と同様に、高橋が発病した時期の心の状態を記憶などによって甦らせて記述したと考えられる箇所がある。周囲の人が自分を狂人と思うかどうかを気にする「うちわ」の記述は、自伝的な『狂人』において刑事に付き添われながら故郷に移送される間の心の状態の記述と重なる。「しかし[その巡査が行った]此んな事も私が汽車の中であばれるかあばれないかをためす為にわざとしたことなんだ」「私は人々から馬鹿な、単なる発狂者に過ぎないと思われるやうな態度を取らなければならない」(319, 321)などの『狂人』の記述は、号外や祇園の舞妓は、人々が自分の精神を試そうとしているという「うちわ」の基調となっている心理とほぼ重なる。『狂人』や「うちわ」などの作品において、高橋新吉は自分自身の精神疾患の時の記憶をアーカイヴとして用いて、これらの作品を書き上げている。