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大東亜共栄圏にて、熱帯の病気を日本の民間薬で治すこと。

『帝国日本と台湾・南方』コレクション 戦争と文学18 編集委員 浅田次郎奥泉光川村湊・高橋敏夫・成田龍一、編集協力 北上次郎(東京:集英社、2012)

 

何点かとても面白い作品があった。一つ、医学史的なことをメモ。

 

海音寺潮五郎コーランポーの記」

1943年1月に『オール読物』に掲載され、同年3月に『作家部隊随筆集 マライの土』として出版された。詳しくは調べていないが、戦時中に行われた「従軍文学者」の企画であるとのこと。日本が占領した地域に人気作家を派遣し、その経験をもとに文学作品を書かせる企画である。コーランポーは今の言葉で言うクアラルンプールである。

 

海音寺と連れの「小栗君」は病気ばかりしていた。海音寺は肺結核があり、夕方になると微熱があり癇癪が起きて来るので野戦病院にいってレントゲンを撮ったら両肺ともに下部に曇りがあった。海音寺は暗澹とした気持ちになった。「おれはマレー(「馬来」)で死ぬのだろう」と考えた。しかし、できることはやってみよう、それで軍隊でくれる胃健錠を飲んだ。小栗君が持ってきた「せんぶり」が効いたが、これを飲みつくしてしまったから町の漢方薬の薬屋にいって「せんぶり」を入手しようとした。和英辞典と英漢辞典を引いて英語と中国語を調べて、漢方薬やで転院と筆談してこれを買った。日本のせんぶりと様子が違うので確かめたら、本草綱目を出してきて見せられた。その漢方薬のせんぶりを服したらうまくいった。

 

もう一つはデング熱に罹ったこと。周りでデング熱がはやり、次は海音寺の番だろうと言われていた。様子をみると、麻疹の様子と似ている。風に吹かれると結果が良くない点、熱が絶頂に達すると全身に発疹する点である。だから、さきの薬屋に行ってウサイカクを買っておいた。「三日目には熱がうんとあがって来た。それ!とばかりにウサイカクを服用した。外の人のように解熱剤などは一切用いなかった。翌日はみごとな発疹だった。普通の人の二三倍ほど、足の爪先から頸筋まで、つつもこんでいるところは一寸の透間もなく、びっしりと発疹した。この病気はここが山だ。順調に発疹さえすれば、あとは一路くだり坂だ。」 このように、麻疹を念頭においた準備がうまく行って、デング熱になったが早く治った。

 

くだくだしくは書かないが、重要なポイントは、日本にあるのと同じ薬を探し、似た病気への対応をもとにしていることである。同時期の欧米人にとっては、熱帯病はもちろん温帯にはない他者性が強い病気であったし、熱帯の民間治療法は迷信の産物と捉えられることが多かった。しかし、ここでは日本にもある民間薬のセンブリをさがし、日本にもある薬のウサイカクを買って麻疹と同じ対応でデング熱に臨もうとしている。ちょっとしたエピソードだけれども、憶えておこう。