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シャンタル・トマ『王にに別れをつげて』より、閉じ込められたハンセン病患者、性病患者についての暗い想像力の部分をメモ

Thomas, C. and 祐. 飛幡 (2012). 王妃に別れをつげて, 白水社.
 
著者は18世紀フランスの歴史学者。マルキ・ド・サドについて、非常に面白い著作を書いている。本書は小説で、歴史学的に興味深い仕方で構成されている。舞台はヴェルサイユ宮殿で、フランス革命がまさに勃発した1789年の7月14日、15日、16日の三日間にヴェルサイユで何が起きたのかを描いている。語り手は、マリー・アントワネットの朗読役<補佐>という設定で、実在した朗読訳のカンパン夫人という人物は回想録を書いて出版しており、これは英訳を Kindle などで無料で読むことができるので、とりあえずDLしておいた。
 
いつも通りの日常が進む7月14日、その深夜にバスティーユ襲撃の報せが届いて、宮廷が混迷して旧世界が崩壊していく15日、16日というように話が進み、世界が変わるときはこのように人々は思い振る舞うのかという深い印象を与えてくれる。
 
細部で歴史学的に面白い部分もたくさんあったが、そのうち一か所をメモした。パリで暴動が起きると、世界の混乱の中に、収容施設に閉じ込められていたらい病患者や性病患者があふれ出して暴走するというイマジネーションの部分。もちろんこの時期のパリの収容院にらい病患者などほとんど皆無だっただろうし、性病患者もどの程度いたのか分からない。しかし、この「大いなる閉じ込め」の施設が与えていたくらいイマジネーションが解き放たれると、このような恐ろしい幻想になったのだろうかという印象を残す。
 
ハンセン病、性病、精神病などの疾患に罹ったものを隔離収容することの一つの大きな特徴は、そこに恐怖を埋め込むことである。そして、その恐怖はイマジネーションの世界、フィクションの領域で、どす黒い強烈な印象を形成する。だから、医学史の世界においては、フィクションを調べることが重要になる。日本においては、精神病の患者が施設において隔離収容されたことと、自宅に座敷牢の形で収容されていたことの間に歴史的な時間差があるという問題があるが、座敷牢やその代替からの逃走という点では、横溝正史の二つの作品を読む必要がある。『獄門島』(1948)は、座敷牢の狂人が逃走して恐ろしい殺人鬼と化す恐怖の幻想を描き、『真珠郎』(1936)は、犯罪者の男性と被差別階層の女性に子供を生ませたあと、屋根裏に閉じ込めて完璧な精神異常者に育てた人物が数々の殺人を犯すという設定である。
 
トマの著作からのメモは以下の通り。
 
そう、まさにその民衆が変わってしまったのだ、と誰かが私に言った。外国の傭兵、こん棒で武装した口髭を生やした者たちに買収されたのだと。彼らは下層民に混じり、演説によって民を興奮させ、酒と金銭をばらまいている。そして、たくさんの牢獄から犯罪者たちの群れが流れ出したという話が始まった。自由に酔いしれ、人殺し好きの彼らは大喜びで、石を投げたり鉄棒を振り回したりして闘っていると。
 私は気絶しそうになった。病院のらい病患者や性病患者のことを思って、恐ろしくなった。彼らが外に出て動き回り、私たちに病をうつしたり強かんしたりするのを、いったい誰が禁じてくれるのだろうか。血と膿が固くこびりついた包帯で、猿ぐつわをはめられるのだろうか・・・なんと、恐ろしいこと!今すぐに死んだほうがましだ。数秒の間、私は宮廷が集団自殺することさえ望んだ。ならず者たちがここに来ても、死体しかないようにと。 (pp.94-5)