東京空襲と精神医療 - 外からのストレスと中からのストレス 

https://historypsychiatry.com/2017/05/11/new-book-therapeutic-fascism-experiencing-the-violence-of-the-nazi-new-order/

オクスフォード大学出版局から昨年でた著作『治療的なファシズムーナチ占領下で暴力を経験すること』についてのノートが h-madness に流れてきた。東欧、特にユーゴスラビアが、第二次大戦中にナチに占領されていた時代に、どのような精神疾患と精神医療の光景を経験したかという方向の書物であるとのこと。

このような記述は、私がこれまで主に読んできたイギリスやアメリカの戦争と精神医療の記述になかったものであり、それと同時に、私がいま書いている昭和戦前期の東京の精神医療の記述のある部分に、とても大きな影響を与えるものである。私が欲しかったものは、外からと中からの精神的なストレスを考える態度である。

外からのストレスを見る素材は、具体的に言うと空襲である。私が見ている精神病院は、東京の西ヶ原のあたりに位置した王子脳病院である。この病院は、1945年の5月末の大空襲で病院自体が全焼して消滅したが、3月の東京大空襲の被害者も受け入れたし、1945年の4月末日まで患者を退院させるという形で機能させていた。東京が空襲を受けていた時期には、その影響を受けて精神疾患を病むことになった患者を複数受け入れている。東京空襲は、市民にかなりの精神的な被害と疾病を起こしていたのは事実である。その時期に、あれは慶應医学部の精神科のチームが、空襲のあとの東京市民を調べて、空襲神経症など一人もいないといったのは、少なくとも事実に反している。精神医学チームが、治療だけでなく調査も行ったうえで、空襲は日本人の精神に影響を受けていないと判断したのが、ただの間違いか、空虚な嘘なのかは、今のところ私には分からない。このような空襲のストレスが発状した精神疾患が「外からのストレス」であると言える。第二次大戦中にこれと類似した問題がより大きかったのは、アメリカ合衆国ではなくヨーロッパであり、それもイギリスではなく東欧地域のような悲惨な攻撃を受けた場所の精神疾患の研究が参考になる。

内からのストレスと呼んだのは、この時期に東京市民の精神をむしばんでいたのは、日本の軍隊であり、政府であり、その下部組織であり、もっともいやな言い方をすると、日本人自身であったのではないかと考えられるからである。1944年になると、敗戦への恐怖、戦時体制に対する批判、天皇に対する批判的な言葉などが、妄想と入り混じるような形で症例誌に現れるようになる。これらは、空襲のような外から来たものではなく、当時の日本の軍や政府や市民が作り上げていた何かが原因なので、内からのストレスと呼ぶことができる。空襲のような鮮明さはないが、自分たちの社会がひずみを作り出していたことを、当時の東京市民はどこかで感知していたということになると思う。 

ちなみに、慶應の精神科のチームが行った調査は、以下の論文で読むことができる。そこでは、松沢病院など複数の精神病院が協力したという記述があり、王子脳病院は慶應の精神科とも深い関係を持っていたので、王子脳病院自体を見ているのかもしれない。

植松七九郎・鹽入圓祐「空襲時精神病―第一篇 直接空襲に基づく反応群」『慶應医学』 25巻、 2,3号(1948), 33-35.