「異邦人が始める疫病」―19世紀のニュー・オーリンズの黄熱病

ウェルカム・コレクションで、高校生向けくらいの感じの医学史の記事があって、とても参考になる。書いてある内容も面白かったのでメモ。

1853年にニュー・オーリンズで黄熱病の大流行があった。人口は15万人程度だったが、黄熱病の流行で死者だけで1万人が出た。この流行を中心にした記事である。この流行もそうであるが、最初の患者は慈善病院に収容されて死亡したアイルランドから移民してきたばかりの男であった。アイルランドやドイツからの移民がよく黄熱病にかかり、死者の3/4はこの二国からの移民であった。死亡率でいうと、現地で生まれたものの20倍もあった。ニュー・オーリンズでは黄熱病のことを「異邦人の病気」と呼んでいた。ニュー・オーリンズや近隣の地域で生まれて育ったものは、一度は蚊に刺されて黄熱病になっているから、ある種の抵抗力を持っているが、その経験がない移民は蚊に刺されて病原体が侵入すると、すぐに重篤化する。 それに、「ラム酒を飲んだくれて喧嘩ばかりする奴ら」という記述も加わる。異邦人でろくでなし。そのような患者のステレオタイプが形成された。
1万人も死者が出た1853年の流行の重要なポイントは、この時期のニュー・オーリンズは劇的な人口の増大を経験していたことであった。1830年頃には5万人程度であった人口が、1850年には15万人程度という激増であった。その間、一度も黄熱病の流行がなく、新規の移民の感染可能者が蓄積している状況であった。この流行が甚大な被害を与えた背景には、このような状況があった。

 

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