江戸時代の民間治療 

眠竜翁, 宗哲 奈良, 正哲 前川, 政章 木内, 獨妙 申斎, 増業 大関, 恵 浅見, and 健 安田. 耳順見聞私記 . 袖珍仙方 . 竒方録 . 漫遊雑記藥方・農家心得草藥法 . 妙藥手引草 . 掌中妙藥竒方. 近世歴史資料集成. Vol. 第2期 ; 第10巻 . 民間治療 / 浅見恵, 安田健訳編 ; 3: 科学書院
霞ケ関出版 (発売), 1996.

浅見, 恵, and 健 安田. 救急方 ; 萬方重寶秘傳集 ; 懐中備急諸國古傳秘方 ; 藥屋虚言噺 ; 寒郷良劑 ; 此君堂薬方. 近世歴史資料集成. Vol. 第2期 ; 第11巻 . 民間治療 / 浅見恵, 安田健訳編 ; 4: 科学書院
霞ケ関出版 (発売), 1995.

青木, 歳幸. 江戸時代の医学 : 名医たちの三〇〇年. 吉川弘文館, 2012.

新村, 拓. 日本医療史. 吉川弘文館, 2006.

近世歴史資料集成には医学や医療に関するさまざまな有益な刊本などを復刻しており、私も時々眺めてみたことがある。今日は、久しぶりに締め切りを気にしなくていい日曜の朝で、未読本コーナーで強い存在感を出していた民間治療に関する書物をぱらぱらと眺める。とても面白いマテリアル。優れた研究はもう出ているのだろうか。

青木先生の記述によると、18世紀初頭の享保の改革の時期に、徳川吉宗のリーダーシップで日本の医療の大規模な改革が始まった。その中に、薬物の生産と輸入と流通に関する改革があり、庶民が中国や日本の医学書と系列を持つ疾病の治療の知識を持つようになったり、合理的な医療を手にするための知識、書物、一定の制度などが作られることになった。きっと、この流れの中で読み取るのが安全な道なのだと思う。ただ、医学書と系列を持つとか、合理的であるとか言ったときに、何をそういうのか、どこで合理性と非合理性が切れるのかということは、かなり立ち入った本気の分析が必要になるだろう。

もう一つ面白いことを。書物のフォーマットの問題である。民間治療本がどのような構成になっているのかという問題でもある。まず、症状モデルと呼ぶものがあるとすると、読み手は自分の症状を知り、そこから本を調べて、治療法を知るという道筋を想定することになる。このような本は、症状から調べることを前提にして作られているはずである。これをまず最初に出した理由は、医者に行くときのモデルをもとに作られたものだからである。医者にいくと、私はこのモデルで行動することが多い。お医者さんに症状だけを切り取って話して、必要な治療法を先方に判断してもらう。馬鹿で素直な患者である(笑)

この症状モデルで作られた本は、もちろんある。私が子供の頃に愛読していた『家庭の医学』は基本的にはこのフォーマットであった(その性的倒錯の章は特に何度も読んだが、その話に行くと話がずれるからしない)。しかし、民間治療関連の書物の名著は、意外にこのフォーマットで書いていない。『養生訓』のフォーマットは、社会と家族と人間と人体のフォーマットを説明しながら、そこに養生の洞察を埋め込んでいくという方式だし、松田道夫の『育児の百科』は、子供が生まれてからの時系列でフォーマットを並べてある。同じように、江戸時代の民間治療の書物のフォーマットは、現代の臨床モデルになっていないもののほうが多い。この部分は、調べて考えると面白いと思う。

症状にどんなものがあるか。西欧の類書と較べたときの大きな違いは、やはり熱 Fever という概念が非常に薄いことだと思う。疾病の名前でいうとペストとマラリア、概念の名前でいうと四元素説で、「熱」は西欧では大きな概念であった。それが、あきらかに欠如していると思う。

『萬方重實秘傳集』には、顔相術の話や、そろばんの珠ではなしをするシステムなど、面白いことが書いてあった。