医師からの転職と出版印刷業

Kerr, Robert, and Richard B. Sher. Memoirs of the Life, Writings, and Correspondence of William Smellie. Scottish Thought and Culture, 1750-1800 / Series Editor, Richard B. Sher. Vol. . Contemporary memoirs: Thoemmes, 1996.

医者という仕事は、現代の日本をはじめ多くの国家では医師という国家資格であり、国家試験を通って初めて医師を開業できる。教育に時間とお金が掛かることもあり、医師から別の職業に転職することは比較的少ない。ただ、この部分は、もう少し色々なことを知らなければならない。まず現代の有名人としては共産党の書記長の小池晃さんが医師から政治家に転職している。江戸時代になると、総じて医療が資格性に基づいていなかった時代・地域だから、医療は他の職業と兼業されることがよくあった。本居宣長は医師としてかなりの収入があった。曲亭馬琴も薬品を作って売っていたから医療を兼業していたことになる。18世紀のイングランドでは内科医による医療の独占は廃絶されていたから、基本的には誰でも医療を行って報酬を得ることができた。ただ、江戸時代なり初期近代については、知識人や教養人が医療を行って、そんなに違和感がない。ガレニズムは当時の教養人が共有していた自然哲学から少し発展した程度だし、覚えなければならない技術的なディーテイルは少ない。

ここでメモしたいのは、印刷や出版との関係である。江戸時代の宣長や馬琴もそうであったが、18世紀から19世紀のスコットランドにおいても、印刷と医療の結びつきは特別に強い。それを示すのがウィリアム・スメリーという『エンサイクロペディア・ブリタニカ』の印刷業者であり、スメリーの同業者であったロバート・カーである。スメリーについては、同姓同名で少し前のスコットランドの出身の産科医がいるが、彼とは別人である。産科医スメリーと間違えてこの本を買ったバカな医学史家もいるから心配しなくていい。スメリーはエディンバラ大学で自然哲学と医学を少しかじった程度だが、彼の知人のカーは、本格的である。エディンバラ大学で医学を学び、すぐにエディンバラの孤児病院で外科医となった。私の理解だと医療のエリートコースである。ただ、ヨーロッパの科学書を翻訳して刊行する仕事もしており、有名なところではラヴォアジエの著作やリンネの著作を英訳している。しかし、1794年に外科をやめて、工場経営者になる。その工場が紙工場で、これも印刷や出版と関係する仕事である。ただ、この工場は失敗して、貧困の中で人生を終えたという。