17世紀ロンドンの医療と子供の不在

Traister, Barbara Howard. The Notorious Astrological Physician of London : Works and Days of Simon Forman.  University of Chicago Press, 2001.
 
けいそうの17世紀を書いていて、16-17世紀にロンドンで医療と占星術を営んでいたサイモン・フォアマンの短いけれども面白い研究を読んでいて、子供の医療とこの時期の医療についての特徴についての言及があり、これが初めて実感として理解できたのでメモ。
 
フォアマンは医師の資格を取っていないが教養人で占星術もマスターし、ロンドンで営む医療と占星術も流行っていた。医療と占星術の記録が残っていて、記録の9割くらいが医療に関するもので、恋の成就の惚れ薬などはごく少ない。医療の症例が数千点にわたって残っており、ウェブ上に画像公開されている。誰でも読めるマテリアルだけれども、読んで分析するためには、きっちり訓練を受けなくてはならない。ケンブリッジ大学のローレン・カッセル先生たちが分析して仕事を発表しているので、そこに聞くといい。
 
問題は子供が少ないことである。症例の8割以上について年齢がわかり、その年齢構成が歴史学者の議論の対象になっている。簡単に言うと子供の数が非常に少ないのである。1歳から15歳の子供の割合が1割前後である。患者の主体は16才から49才の成人、50歳以上も少ないのはこれは人口学的なバランスの問題である。病気をよくして、それが頻繁に重くなる子供の割合が、なぜこんなに低いのか。
 
もちろんアリエスやストーンたちは、小さい子供に対して親は複雑な感情を持っていて、生命が確定するまでは愛情や医療費の支出の対象ではなかったという議論を展開している。しかし、この説明は医学史家たちには非常に人気がない。私たちが持っている史料で、子供の病気や死亡に対する親の感情が表現されたものから見ると、医療費を払う対象でないという説明がぴんとこない。だからといって、医学史家たちは、この時期の史料ででくわす子供の不在の問題に対して、決めての説明を持っているわけではない。
 
ここで提唱されているのはきちんとした説明というより、説明の断片だけれども、これは、私の心にかなりぴんとくるし、あと初期近代の医学史家たちのなかでこのポジションを重視するものも多い(たとえば Andrew Wear)  ポイントは、ガレノス医学の治療法は、身体に強い負荷を与えて、その負荷に耐えて健康を取り戻すモデルであるということである。瀉血や吐しゃや下剤がガレノス医学の治療法の中心である。これらは、患者の身体にまずマイナスを与える。そして、それから返ってくる中で病気も治るという基本モデルである。だから、宗教改革の時期には、ガレノスの医学は残酷で虐待であるとまで批判された。そのような攻撃的な治療を、病気の子供に対してできるのか、という問題である。ガレノス医学の治療が、成人の男子を理念系としていたということである。
 
 
 
 
Medical Consultations for which Age Is Recorded
1 ~ 15
16~49
 
50 and over
 
     
Men
Women
Men
Women
1597 casebook
1479
132
449
657
95
146
1601 casebook
954
110
276
412
81
75
 
2433
242
725
1069
176
221