大学の授業の改善について

日本英文学会関東支部, 日本英文学会, and 徹 佐々木. 教室の英文学. 研究社, 2017.

イギリスにいた時代はよく英文学者とご一緒に仕事をしたこと、アバディーン大学でのポスドクは実は英文学の枠組みでのものだったこと、日本に帰ってきても英文学者と一緒に仕事をすることが多かったことなどから、英文学者と一緒に話をすることが多く、今回もとてもいい本を頂いた。英文学者だけでなく、歴史学や他の領域でもそうだと思うけれども、大学の授業の基本をどのように改善するかという大きな問題がある。多くの大学教員が、それぞれの授業のさまざまな性格に規定されながら、この改革の問題に取り組んでいると思う。

まず意識しなければならないことは、私たちが学生時代に聞いた優れた先生の授業から学ぶことは多いということである。私の場合は30年以上も前のことだが、日本やイギリスで優れた先生の授業にしびれたような感覚はもちろん今でも持っている。それをキープして、できれば発展させるという方向は、もちろん誰もが意識していることだと思う。それと同時に、私が習った偉大な先生たちが授業では提供しなかったような枠組みの部分も取り入れるということは、併存するし、かえって互いに刺激を与えていると私は意識している。

何回か書いた「歴史学」の授業の改善は、うまく行っている。これは一般教養で2コマで200人程度取る大教室の授業である。そこに、60分英語で講義して30分それを英語で要約する時間を与えるという構成を与えた。これで、英語を聴く能力、重要なメモを取る能力、英語で要約エッセイをまとめる能力をアップすることができる。これを毎回採点して次週には返す。メールでエッセイを書いてもいいし、他の学生のレポートを写したものは一発で分かる仕掛けがある。

良いポイントは、学生は、この仕組みを骨の髄まで愛していることである。欠席などほとんどいないし、横の学生としゃべったり、授業中に寝たりする学生は、一切いない。そして英語はもちろんものすごくうまくなる。これは色々な職業につくうえでとても好いポイントである。悪いポイントは、これは受験勉強とまったくおなじであるということである。私の授業では、自由な学問性とか、学生の独自のアイデアとか、そういった方向をつけることは一切ない。学生の要約が私の授業をうまくまとめてあるかどうか<だけで>評価している。受験勉強の発展である。これはもちろんよくないが、学部1・2年生であること、一般教養であること、英語であることなどを考えて、今のところはこれで行こうと思っている。

このように、大教室の授業は改善できていると思っている。私がまったくできなくて、未だに苦しんでいるのが、少人数のセミナー性を持ち、学部1・2年の学生がとる「自由研究セミナー」である。これをどう改善できるかということは、大教室の授業の改善をさらにしのぐ難しさを持っている。詳しい事はここでは書かない。

そこでためになるのが、この「教室の英文学」に書いてある、さまざまなアドヴァイスである。授業のある部分について、これまで考えたことがないような仕方で色々とヒントになる部分がたくさんあった。それも、英文学を3・4年で先専攻する学生ではない学生たちを念頭に書いているということが、大きなヒントになった。私は、医学史を専攻する学生を教える機会は大学院しか現れないから、素人の学生さんに医学史を教えるのに、一定の時間で高い効果をあげなければならない。その大きなヒントがたくさんあった。