コクトーのアヘン中毒と精神病院の患者の手記

 

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Cocteau, Jean, and 大学 堀口. 阿片 : 或る解毒治療の日記. 角川文庫. 12版 ed.  Vol. 396: 角川書店, 1998.
 
ジャン・コクトー (Jean Cocteau, 1889-1963) はフランスの文芸家。私が全く知らない20世紀のフランスの文芸の世界とドラッグの世界の話だけれども、わかっていることだけ書いて置く。
 
コクトー1920年代にレイモン・ラディゲ (Raymond Radiguet, 1903–1923)と深い知己になり、アヘンの利用を始め、その中毒性が深刻化してきた。友人たちの勧めもあり、サン・クルウ療養院という精神病院に、1928年の12月16日に入り、1929年の4月に退院した。その時に書いた手記を1930年に出版している。日本語への翻訳は、いまわかる範囲では、最初が1932年。堀口大学第一書房から刊行している。1936年にはおそらく同じ版が「上製」として刊行されている。1936年の再版は、その年にコクトーが来日したからだろう。堀口のあとがきによると、その時点でもアヘンの利用は完全に根絶したわけではないとのこと。日本での翻訳はその後も継続し、1946年、1953年、そしてコクトーの全集などに入れられ、文庫本への編入もおこなわれている。私が見たのは1953年版を1998年に文庫化したものである。
 
コクトーの著作はたくさんの重要な特徴を持っており、この時期近辺の日本の精神病者麻薬中毒者の語りの重要な特徴を持っている。最も基本的でとても重要な特徴は、精神病院に収容されている患者の手記を印刷したものであることである。だから、私が読んでいる日本の精神病院の症例にとてもよく似ている。精神病院は患者を沈黙させる空間だったというのはある意味で大きな間違いであり、精神病の患者は通常の人よりもはるかに多くの発言を記録され作品が保存されるメカニズムを作り出す。コクトーの仕事は、その多弁多作の空間を印刷の形で表現したものである。1930年のフランス語オリジナル、そして1932年の最初の日本語訳を見ていないので確言はできないが、私が見た文庫版だと、患者の手記の印刷したものになっている。コクトーが書いた自らの精神疾患や不安定さを織り込んだ散文があり、他の文人たちの麻薬や精神病に関する記述があり、映画や絵画や他の芸術に関する散文があり、その散文と微妙な形で共存するコクトー風の手描きのイラストが存在することである。自分と他の人間と世界について、リテラリーなものと、ヴィジュアルなものの二つの方法を用いて表現するものであり、それが印刷されたということを確認しておこう。できればいい翻訳を見て、きちんとした注釈がついた版を見る必要がある。
 
麻薬は犯罪と司法にかかわることであるという考えにも触れている。この部分でオスカー・ワイルドがアルフレッド・ダグラスに書いた手紙からの引用がいい。「皮相浅薄のみが罪悪だ。すべて理解の上でなされる事は善行だ。」この引用は、同性愛であれ麻薬中毒であれ、精神疾患の周辺に存するものに関する法と社会の問題を、ワイルドの視点から見たものと、コクトーの視点から見たものをうまく表現している。
 
全体として、フランスのかっこいい知識人が言いそうな断章に充ちている。そういう言葉が必要なときように手元に置いておくととてもよい。 Cocteau + opium で検索するとたくさんの画像が出てくる。