MD-PhD の形式で医学と人文社会科学の二つの学位を持つ研究者

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無料で論文をDLできます。専門家だけが読んで意味を持っている論文ですが、関心がある方は読んでおくといいと思います。

アメリカでは医学博士と哲学博士の二つの学位を持つ人々がいて、MD-PhDと呼ばれている。PhD は哲学博士と訳すのだろうが、ここにはほとんどの自然科学系ではなく、多くが医学と自然科学の二つで学位を持っている。その中で、PhD を人文社会系で取得している人々も現れてきて、医学生たちに人文社会系を教えることになっている。アメリカ全体で100人から150人くらい存在して、そこから70人ほどにアンケートなどをだした調査である。教育は合計して9年かかり、88%が大学の先生だという。 近年はこれはいい制度であると好意的に受け止める若手が多いという。

「医学史」という学問領域がイギリスやアメリカで人気が高いのは、それに対する人々の関心が強いという側面と、それを医学部の教育の制度に組み込むことができているという二つの側面を持っている。前者では、医学や医療を人文社会科学者の研究対象にすることはわりと簡単である。人文学でいうと哲学、歴史学社会学、文学、人類学など、社会科学でいうと経済学や法学など、人文社会科学系で確立した領域を持っていれば、そこに医学や医療という主題を組み込むことはそれほど難しくない。イギリスやアメリカではスムーズに進行したし、日本でもかなりスムーズに進行していると思う。

しかし、後者の制度的な問題、特に医学の教育の中に人文社会科学も学んだ人をどのように取り入れるのかというのが、イギリスやアメリカでは定着しつつあるが、日本ではかなり苦しんでいる。私は総合大学で教えているから、学部1年生の医学部の学生に一般教養の歴史として基本的な医学史を教えており、そこは何の問題ない。私は楽しく教えているし、学生のレスポンスもいい。それ以上に展開する要因がないのは、慶應の地理的な特徴であり、日吉・三田と信濃町は、やはり異なったキャンパスであるからである。東大ならよさそうであるが、東大では医学部は本郷に、科学史駒場にあるという、よくわからない要因がある。京大などはどのように展開しているのだろうか。あるいは他の総合大学で、医学部と人文社会科学の学部が同じ場所にあるところだと、どのように動けるのだろうか。あるいは、順天堂大学北里大学といった、基本的には医学の単科大学が日本の医史学教育の拠点であるというのは、どう説明すればいいのだろうか。