推薦状という概念

推薦状という日本では難しい概念がある。私はイギリスで数年間は推薦状を書かれる学生の方で、日本で先生になってからは、推薦状を書く方にゆるやかに移行した。推薦状の概念はかなり難しく、経験しないと分からない部分がとても大きい。どのような状況で書けるのか、どのような状況で推薦状を頼まれても書かないと言えるのか、一度この人にはもう書かないと決めてもその決定を変えることができるのか。少し書いておく。

まず、仕事をまったく知らない人から頼まれた場合は、推薦状を頼まれても、書けないとお返事する。私の人生だと、150人相手で行う講義については、その学生個人の能力についての推薦状はほとんどの場合は書けないから、ダメですとお返事するし、少人数のセミナーを受けた先生にお願いするのがいいでしょうという。少人数だと、名前も能力も知っている。

次に、その学生や院生などの仕事を知っている場合で、推薦状を書いてくれと言われて、それを引き受ける場合は、その学生の能力を十分に知っていて、なおかつ的確に書けると考えた場合である。いい学生の時にはそのような推薦状を書き、そうでない時にはそれがわかるように書く。大学院の授業に出ること、大きな仕事を一緒にやること、そういったことが推薦状サークルに入る場合である。私も、大きな仕事を一緒にやって、それが推薦状を書いてもらうような事に繋がる。全ての学生に同じ推薦状を書くというのは、私は行わない。学生が自分で推薦状を書いてくると、推薦状などの大切な場合は私が書くと説明する。ここの理屈も私にとっては一貫している。

一番難しいが、最近やっと納得できるようになったのが、優れた推薦状を書き、その状態から学生がこぼれ落ち、もう二度と推薦状は書かないと決意した状況が変わるというシチュエーションである。そこから抜け出して、推薦状をもう一度書くことができるようになった状況である。一度死んだ推薦状サークルが再び生き返る状況である。それが死んだ状態になったのは、私にも大きな責任があり、若い学生や研究者たちにも責任がある。それを、彼らや彼女らが、また努力をして、いい仕事をすると、重要な関係が再び生き返るようにしてくれる。そのことに感謝しよう。推薦状サークルは、生き返ることが可能なのである。